12月11日(土)

本日の『ジャズ耳の鍛え方』(NTT出版)発売記念イヴェント、どう進行させようか、かなり迷った。というのも、今回の本の基本は「ジャズ耳を鍛えること」なのだけど、そこにいたる道筋がけっこういろいろと書いてあるので、ポイントが絞りにくいのだ。また、いわゆる「アルバム紹介」がメインでもないので、「音で説明する」ことが難しい。

そういえば、今これを書いている段階で「いっき」さんのブログを覗いたら「『ジャズ・オブ・パラダイス』の2010年版が『一生モノのジャズ名盤500』(小学館新書)と、『ジャズ耳の鍛え方』の2冊である」という主旨のことが書いてあったが、なるほどなあと思った。

人間、じぶんのことはけっこう見えないもので、人に言われて「あ、そうか」と思うことがしばしばある。まあ、私はとりわけそういう傾向が強いとも言えるのだが・・・(要するに、トロいのですね)

それはさておき、そういうこともあるので、どちらかというと話題を、今回のゲストである中山康樹さん、村井康司さんらとの共通の話題である「ジャズ評論の今後のあり方」の方へと振って行った。会の後のお客さま方の反応を見た限り、この方針はまあまあ正解であったようだ。

村井さんのお考えは、ジャズの歴史をジャズだけでなく、周縁音楽を含めた多様な文化現象の中で捉え直そうということで、この企てはすでに『JAZZ JAPAN』の連載で始められている。こうした作業は今まで等閑視されており、ある意味でジャズ評論家に課せられた使命でもあると考えていたところなので、実に当を得た試みだと思う。

中山さんは、マイルス最晩年の試みである、ヒップホップとの接近が彼の死で中断してしまったことから、私たちの知らないところでジャズの命脈が「別の形で」現在に引き継がれているという、実に魅力的な仮説を提示された。この件については、来年早々にもある程度連続した形で中山さんご自身に「いーぐる」で講演していただくことになると思う。

私自身はというと、明らかに混迷を来たしているジャズの現況を考えるには、まず足元を固めることが必要だろうということで、「ジャズとはどういう音楽であるのか?」という、昔からジャズファン、評論家たちの間で繰り返し語られ続けてきた基本的な問題を、改めて考察してみよう、という立場である。

「いっき」さんのおっしゃるとおり、それは『ジャズ・オブ・パラダイス』の主要なテーマでもあった。ただ、あの本から20年を経過してジャズシーンも大きく変わり、また、私自身の考え方も変化してきた。そうしたことごとを含め『ジャズ耳の鍛え方』では、「ジャズはこれからどうなるのか?」という問題を考えるための下地として「ジャズは(ある時期まで)こういう音楽であった」という点を、再度確認する視点で書いている。

講演の最中、私はお二方のお話しを聞きながら、やはり凄いものだなあと思ったものだった。それは、お二方とも、面白いように「私には出来ないけれど、ジャズ評論家がやるべき仕事」を目指されていることだ。そして私は思った。私たち3人は、目下の関心事こそそれぞれではあるけれど、その見つめている先のものは極めて近しいに違いないという確信である。

最後に、ご参会のみなさま方、ありがとうございました。そして、お忙しい時間を割きゲスト参加していただいた村井さん、中山さんへ深く感謝いたします。また、本著の校正をしていただき、当日本の販売もしていただいた林さん、ビデオ撮影をしていただいた宮尾さん、また、急な注文にもかかわらず臨時のCDオペレーターを買って出てくれた田中さんに、この場を借りてあつく御礼いたします。ありがとうございました!