8月12日(土曜日)
ほぼ4ヵ月ぶりの林田さんの「横断的クラシック講座」第8回のご報告は、「中南米のクラシック音楽〜ヴィラ・ロボスを中心に」の内容紹介と、大事なお知らせです。
既に8回目を迎えた林田さんによる「横断的クラシック講座」ですが、この企画は私にとってほんとうに大きな発見の連続でした。まずは「クラシック」の力強さ、素晴らしさを、今更のように知らしめられたことです。その理由は3っつほどあります。
まずは林田さんの選曲の良さ。「初心者と手加減することなく最高のものを選んだ」という硬派路線が、結果としてクラシック入門者の私にもダイレクトに伝わって来たのです。また、的確かつ分かりやすい解説がそれぞれの楽曲の「聴き所」を鮮明に照らし出してくれたことも、未知の分野への導入として大きな助けになりました。
そしてこれは若干自画自賛めきますが、「いーぐる」の大型装置で聴いたことによって、クラシック音楽のダイナミズムが全身で実感できたことも大きかったようです。同じ音源が自宅の小型スピーカーで聴くのとまったく違う様相を呈したことに、我ながら驚きました。それと同時に、私と同じような小型スピーカーで聴いた音源でクラシック音楽のことを云々するジャズファンは、まだこの音楽のほんとうの底力を実感してはいないであろうことも、充分に想像がついたのです。
こうしたことを率直にこの個人ブログに書き連ねてきましたが、これが林田さん、そしてアルテスパブリッシングの鈴木さんの眼にとまり、林田さんと私とで新たなスタイルのクラシック本が出来ないかという斬新な企てが現在進行中です。この連続講演を基に、林田さんと私が対談する形式をとる極めて意欲的なものとなるはずです。そして今回の講演が第1弾となり、来年まで続く「横断的クラシック講座」が一段落した段階ですべてをまとめ、出版の運びとなる予定です。ご期待ください!
さて、話を今回の講演に戻すと、またもや大きな発見の数々でした。まず大方のジャズファンも同じではないかと思うのですが、「中南米のクラシック音楽」なんて、ほとんど知識もなく、また聴いたことも無かったのではないでしょうか。ですから、始まるまではその内容についてまったく想像がつきませんでしたが、聴いてびっくり、なんて素敵な音楽なんでしょう!!!
それと同時に、「中南米のクラシック音楽を、クラシック入門編にする」という、音源を聴くまでは半信半疑だった林田さんの提言が、実に理に適ったものだと心から実感したのです。とりわけジャズファンには、バッハ、モーツアルト、ベートーヴェンといった「クラシック王道路線」より、むしろ向いているのではないかと思ったほどでした。
理由は明白で、ヴィラ=ロボスに象徴される圧倒的情感の豊かさは、ジャズファンが日ごろ馴染んでいる情動喚起ポイントをダイレクトに直撃するはずだからです。理屈も何もなく感動したいというジャズファンに、これほど向いている音楽は無いのではないでしょうか。
この傾向は他の作曲家にも言えて、全体として中南米のクラシック音楽界は、ポピュラー・ミュージックやジャズといった他ジャンル音楽との境界線が、伝統的ヨーロッパ世界よりいい意味であいまいなような気がするのです。典型的なのはエグベルト・ジスモンチで、私などは70年代に最初にECM音源を聴いたときから、彼のことを「新しいタイプのジャズ・ミュージシャン」だと思い込んでいたのでした!
また、近年のジャズ・シーンは、マリア・シュナイダーや挟間美帆などによる、ラージ・アンサンブル的表現が大きな影響力を持ちつつあり、「書かれた音楽」の強みも素直に認めるべき状況にあるように思うのです。加えてゴー・ゴー・ペンギンのような、クラシック音楽の影響を受けたジャズ・グループの活躍などを見るにつけ、今やクラシック音楽はジャズファンにとっても「他人事」ではない世界なのですね。
そうしたことを取り払ったとしても、クラシック音楽が伝えてくれる感動の力は、ジャズファンにも十分に伝わるはずです。その理由は、何よりジャズファンもクラシックファンも、共に演奏を受け身の姿勢ではなく、積極的に「聴きに行く」という姿勢でまったく同型なのです!
以下当日のメモをご紹介いたします
1, ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第2番〜第2楽章:アリア
濃厚な艶とコクがある音楽。はっきり言って、まったく「バッハ的」とは思えないが特有の不思議な心を時めかす魅力がある。それは何かに憧れる情熱、パッションが音となって迸り出ていることの凄み、不思議だろう。たいへん魅了された。
2, ツィポリ:スペインのドメニコ修道会の皇帝のレティラーダ
いかにもバロック音楽という感じではあるけれど、特有の温度感というか熱気が感じられる。彼は宣教師なので宗教的情熱が音楽に反映されているのか。
3, チャベス:バレエ音楽「馬力」組曲〜第3楽章「熱帯地方」
明るく祝祭的で光を感じる。ポジティヴな意志の音楽。後半になると、エキゾチックで魅惑的な旋律が現れる。親しみやすさの中に宗教的な情熱も感じる。これも、かなり気に入った。
4, レブエルタス:センセマヤ
はじまると同時にガレスピーの「新大陸」を思い出す。作曲したラロ・シフリンは明らかにレブエルタスの影響を受けている。こういう発見は実に面白い。それだけに極めてジャズ的で、これはジャズだと言われてもまったく違和感がない。それと同時に、レブエルタスが「メキシコのストラヴィンスキー」と言われたのも実に納得。まさにメキシコ版「春の祭典」だ。いや、だとすると、ストラヴィンスキー自身がかなりジャズ的だったのかも…
5, レブエルタス:マヤの夜〜呪術の夜
壮大かつ情熱的でリズミカル。ダイナミックでスケールの大きな音楽。パーカッションの扱いがかなり大胆で、この演奏もかなりジャズ的。ジャズ・アルバムにこの楽曲が混ざっていてもまったく違和感はない。変奏曲の形式をとっているので、まるで万華鏡を覗くような多彩な気分の転換が味わえる。
6, バリオス:大聖堂
素朴ながら力強い音楽。
7, ヴィラ=ロボス:ショーロス第5番〜ブラジルの魂
極めて情熱的な音楽で、何ものかを希求する気分が強烈に溢れ出ている。
8, ヒナステラ:ハープ協奏op.25〜第1楽章
上品でおしとやかな楽器というハープのイメージを刷新するダイナミックな演奏。この楽曲に限らないが、「ラテン・クラシック」は一般にダイナミックで躍動的かつドラマチック。そういう意味では極めてジャズに近いテイストを持っている。
9, ピアソラ:パチュリ
パッションとノスタルジーの音楽。聴き手に、なぜかしら心地よく少しばかり甘酸っぱいような「懐かしさ」の感情を呼び起こす。もちろんピアソラの楽曲の力なのだろうが、「ジャズ耳」で聴くと、その「力」の源泉はギドン・クレメールの比類のないヴァイオリンの響きにあるように感じた。こうした部分の魅力はジャズを聴く快感と全く変わらない。素晴らしい演奏だ。クレメールが好きになった。もっと聴いてみよう。
10, ピアソラ:タンガーソ
情念とイマジネーションの音楽。しかし暗い。改めてピアソラの凄さを実感。そしてジャズでは表現しにくい音楽的効果を実感した。それは、ハーモニーの魅力であり、複数の音の対比の面白さだ。これは「書かれた音楽」の絶対的強み。
11, ピアソラ(S.アサド編):トロイロ組曲〜ばくち
息の合ったギターの超絶技巧が凄い。ギター音楽の魅力。響きの力強さが印象的。ダイナミズムと打楽器的な衝撃力が圧倒的な演奏だ。
12, ジスモンチ:フレーヴォ
アサド兄弟の演奏は素晴らしいが、確かにジスモンチのギターとは明らかに違う。
13, グァスタヴィーノ:3っつのアルゼンチンのロマンス〜サンタ・フェの少女たち
抑えた情熱を感じさせる。メランコリーな気分。それにしてもアルゲリッチのタッチの強靭さは特筆もの。
14, ブローウェル:高原の踊り
バッハとビートルズを足したような自作曲だそうだが、どこかで聴いたことがあるような気がする。
15, ヴィラ=ロボス:ギター協奏曲〜第2楽章
壮大で荘厳な哀愁。深いギターの響きと、バックのオーケストラ・サウンドが醸し出す独特の響きが心に染み入る。確かにこうした音楽はブラジルの大地から生み出されるということが実感として伝わってくる。
16, ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第4番〜第4番〜第1楽章:前奏曲
たいへん美しいがあまりバッハ的とは思えない。しかし素晴らしい。極めて情緒的というか深い哀愁を帯びた情念的な音楽。けれんみのない深い情感が圧倒的な力で訴えかけてくる。不思議な気分にさせられる音楽。非常に濃い音楽。ある意味で過剰でヤバい音楽だ。
追記すれば、「無展開音楽」の凄みと同時に、展開された音楽である伝統的クラシック音楽の聴き所、精緻さも映し出してくれ、私のクラシック理解にとって大きな「気付き」の体験となりました。
最後に、講演が終わった後の「雑談」が思い切り音楽的に濃い内容で、たまたま編集者の方がレコーダーを回しており、これもまた新刊のお楽しみとなるはずです。再び、乞うご期待!!!