去る8月1日に行われた、林田直樹さんによる「いーぐる連続講演」の選曲リストを掲載し、個人的感想を述べてみます。

 

本来は4月に行われる予定だったこの講演は、コロナによる自粛要請のため延期されたのですが、タイトルが示す通り、戦渦や感染症の危機が文化・芸術状況に及ぼしたさまざまな影響を映し出す、極めて今日的な講演となりました。

 

それを象徴するのが冒頭に紹介された映像作品、クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ) 演じるシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」でした。この退廃的とも、あるいはグロテスクとも思える作品は、芸術と称されるものが、必ずしも万人が受け入れられるような「健全で安全な美」に留まらないことを端的に示しており、それは林田さんの芸術観でもあるのでしょう。

 

そしてこの極めて刺激的な映像は、おそらくは現在の「三密を避ける」と称して推奨されている完璧に消毒された、「無害であれば良しとする風潮」に対する、一種のアンチテーゼと受け取れなくもないようです。

 

こうした、現在の極端に「安全・安心」を求める世間の風潮に対する批判とも受け取れる発想は、「ジャズ」に関わって来た私にはよくわかります。良い例が薬物中毒患者でもあったチャーリー・パーカーによる“ビ・バップ革命”で、彼の挑発的とも言える刺激的演奏は、当時必ずしも一般の人々から好意的に受け止められていたわけでは無かったからです。

 

優れた芸術作品には、「美」だけではなく「毒」もまたあることをこうした事例は示しています。

 

余談ですが、近年「嫌煙権」と称して喫煙者を忌み嫌う風潮がありますが、そうした健全な「健康志向」の持ち主が、その多くが明らかに煙草より害があり、また他人に及ぼす悪影響も煙草の比ではない常習麻薬中毒者であったマイルス・デイヴィスなどの音楽を称揚する光景は、私にはとてもシュールに映るのです。かく言う当店も、今年の4月から都条例に素直に従って禁煙ですが…(笑)。ちなみに私は非喫煙者です。

 

余談続きですが、薬物中毒が判明した歌手やタレントのCD、映像作品などを販売中止にすることが近ごろの日本の「常識」になっているようですが、その原則をジャズに適用すれば、モダンジャズの開祖パーカー以下、マイルス、コルトレーンエヴァンス、ゲッツなど、ほとんどの大物ジャズ・ミュージシャンのCDが店頭から姿を消すことになってしまいます。そうしたものを集中的に提供するジャズ喫茶などは、さしずめ「営業停止」ですよね(笑)。いや、笑い事ではなく、ナチス政権下での「退廃芸術批判」はまさにそうした動きでしたし、また、ソビエト革命直後の溌溂とした芸術運動が、スターリン政権下で急速に硬直した「御用アート」に変容してしまった歴史も、忘れてはいけないでしょう。

 

思うに、こうした極端に危険・異物を避けようとする近ごろの日本の傾向は、例の原発事故以来急速に勢いを増しているように思えます。

 

私は放射線障害や感染症についてはまったく素人に過ぎませんが、原発事故直後の「東日本にもう人は住めなくなる」と称して関西に移住した人たちや、自然界に存在する微弱な放射線と同等レベルの放射線におびえる人が少なからずいたことに大変驚きました。

 

というのも私たち団塊世代は、広島・長崎が悲惨な被爆体験にもかかわらず、両都市共に復興を果たしていることや、冷戦期に米ソ両陣営が行ったおびただしい回数に登る原水爆実験による途方もない放射線被害にもかかわらず、「日常生活」が続けられていたことを皮膚感覚として記憶しているからです。

 

同じように、1950年代にはインフルエンザの死亡者が7000人台に及ぶことが2回もあり、最悪の年は8000人近くが亡くなりましたが、街を歩く人々の数は変わらず日常生活もふつうに維持されていたことを子供心ながら覚えています。

 

ですから、たかだか1000人程度の死者数で暑いさ中マスクをしている人々の姿が私には何とも異様に映るのです。しかし最近少し理由が解ってきたようにも思えます。彼らは必ずしも新型コロナへの感染を恐れているのではなく、コロナ患者であるとみなされることを恐れているようなのですね。信じられないことに、地方都市では、被害者である感染者が、その存在自体に「加害性」があるかのように「差別」されているようなのです。これは明らかなに人権侵害ですよね。つまり、人々の恐怖の対象はウィルスよりむしろ「他人の眼」なのですね。

 

アートは本来こうした悪しき「同調圧力」に屈せず、「毒」も含めた自由な表現を目指していることを今回の林田さんの講演は見事に抉り出しており、これは私の考え方とも一致していたのです。まさに時宜を得た批評性に満ちた素晴らしい講演でした。

 

 

  • 選曲リスト

 

横断的クラシック講座第20回 

『第1次世界大戦とスペイン風邪は音楽に何をもたらしたか』

選曲 林田直樹

第1部(上映)
~文明の退廃とグロテスク、真夜中の病的幻想、少数の美学と悪趣味、自殺願望~
アルノルト・シェーンベルク(1874-1951):月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール)op.21 ※約37分
クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ) ピエール・ブーレーズ指揮 アンサンブル・アンテルコンタンポラン 映像監督:オリヴァー・ヘルマン 2000年制作
Arthaus

第2部
~ブラジルの「白いインディオ」と呼ばれた超多作な作曲家の郷愁、それでもヨーロッパの過去の伝統や様式に倣うこと~
●エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959):ガヴォット=ショーロ ※約6分
ローリンド・アルメイダ(ギター、1917-95 ブラジル)
Naxos classical archives

~戦争と疫病の時代の新しい試み(1)最小限の編成、移動可能な音楽へ「すべてを手に入れる権利は誰にもない」~
イーゴリ・ストラヴィンスキー:兵士の物語 ~第2部終幕の大団円 ※約7分
ジャン・コクトー(語り、当時73歳) イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 アンサンブル・ド・ソリスト 他
Philips

~戦争と疫病の時代の新しい試み(2)「亡くなった友人たちに送る音楽、そして200年前の音楽を身近に感じること」
●モーリス・ラヴェル(1875-1937):クープランの墓 ~メヌエット/リゴドン ※約8分
ジョゼプ・ポンス指揮 パリ管弦楽団
Harmonia mundi

感染症を恐れ、握手を怖がった作曲家の、アンダルシアの野性と神秘の炎~
マヌエル・デ・ファリャ(1876-1946):「恋は魔術師」 ~火祭りの踊り ※約4分
ホアキン・アチューカロ(ピアノ)
Sony

~移民の国アメリカの風景。ありのままの混沌を肯定。大衆におもねらない前衛と自由~
●チャールズ・アイヴズ(1874-1954):はしご車のゴング、あるいはメインストリートを行く消防士のパレード ※約2分
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル
Deutsch Grammophon

~革命と戦争のロシアから、わたしの嘆きを打ち砕いてくれるものへの感謝~
●セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953):「緑のつぼ(ロシア民謡)」 ※約4分
セルゲイ・アレクサーシキン(バス) ユーリー・セローフ(ピアノ)
Triton

~戦争と疫病の時代の新しい試み(3)日本近代音楽の草分けが考えたことは「歌曲を」
山田耕筰(1886-1965):赤とんぼ ※約3分
平山美智子(ソプラノ、録音当時90歳) 高橋アキ(ピアノ)
Camerata tokyo

タタール系女性作曲家が描く、恐怖と悲しみと空虚を埋めるために、飲まずにはいられない人々~
●ソフィア・グバイドゥーリナ(1931-):ペスト流行時の酒宴(プーシキン原作) ※約23分
マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
RCO Live

~14世紀ペスト大流行時、生きる苦しみを神に訴える歌。西洋と非西洋の境界~
●ギヨーム・ド・マショー(1300-1370):モテット「母なる乙女、幸いなる乙女、私はあなたにため息し、悼み、泣く」/《ノートルダム・ミサ曲》入祭唱「聖なる母よ」 ※約9分
グランドラヴォア
Glossa