3月22日(土)

今日もまた濃密な一日であった。元「ジャズ批評」編集長、岡島豊樹さんによる「ロマンチカ」をキーワードとしたロシア、旧ソ連ジャズ特集、ある程度事前に予想していたものと近かった。近頃有名な外務官僚、佐藤優氏の著書で仄聞する「ロシア人気質」を彷彿させる音なのである。明らかにアメリカジャズとは違い、また、ドイツ、フランス、イギリスはもちろん、バルカン半島系ミュージシャンのジャズとも、微妙にテイストが異なっている。ひとことで言えば鄙びているのだ。
個人的には、以前聴いたことのあるセルゲイ・クリョーヒン作曲による『「雀オラトリオ四季」より春』、ポップメハニカ『昆虫文化』、『最後のワルツ』など、クリョーヒンの奇妙な感覚が耳に残った。それにしても、「妖精的ヴォイス」を自ら発声してしまおうという発想はユニーク。どこかでテオ・ブレックマンや巻上公一さんらのやっていることと通底するようにも感じられた。
例の福翔飯店で打ち上げ中、店を預かる冨永君からいーぐるに菊地成孔さんが来ているという連絡が入る。ちなみに冨永君とは、オダギリジョーが共演した女優さんと結婚して話題を呼んだ映画『パビリオン山椒魚』(音楽、菊地成孔)の監督、冨永昌敬であり、菊地さんのライヴ映像はいつも冨永君が担当するという関係だ。
みんなで店に戻ると、奇しくも大昔私が菊地さんの友人に水をかけたときと同じ座席に菊地さんが座っているではないか、よっぽどこの席が好きなんだなあ。
さっそく昔話に花が咲き、時代はあっという間にタイムスリップ。元上智ジャズ研の菊地さんと、元上智ニュースイングの村井康司さんが20年以上昔の「水かけ事件」を再検証。巷間、私が菊地さんに水をかけたように伝えられているがそれは間違いで、彼の隣に座っていた少年がナマイキなことを言ったので頭から水差しの水を注ぎかけたら、その飛沫が菊地さんの買いたての高級シャツを濡らしてしまったと言うのが真相。
ナマイキと言ってもこっちもナマイキ、きっとつまらないことが原因だったに違いない、今思えば悪いことをしたと思う。菊地さんにいったいなんであんなことになったんだろうと言うと、意外なことを教えてくれた。
信じられない話だが、なんとヴィトゲンシュタインの言語論についての見解の相違だったと言うではないか。えー、と言うと、当時店に置いてあった「いーぐるノート」で論争の下地が出来ており、私が水差しを持って皆さんのコップに水を差しつつ立ち話の際、少年がその話題を持ち出し「言語的意味の無効性」とやらで揶揄したので、アタマに血が上った私が「意味の実効性を実証すべく」水をかけた、らしい。まったく覚えていないけれど、ホントだとしたらけっこう哲学的理由だったのだ。それにしても、菊地さんから「あのころ後藤さんはニューアカっぽいこと書いてましたよ」と言われてちょっと恥ずかしかったが若気の至り、もう時効でしょう。
まあ、思い出せば「ユリイカ」にも書いたことだが「いーぐるノート」はけっこう侮れない濃い書き手が集結していた。村井さんはじめ、少なくとも5人以上が現在はジャズ評論家になっており、菊地さんは「モード君」という後のジャズ漫画を先取りする可笑しな作品を「連載」していた。みんなその続き読みたさに来店し、1日に2回も来るヒマ人もいたっけ。