11月17日(土)

いーぐる連続講演の醍醐味は二つある。まず、その道の専門家の方々に知らない音楽の魅力を教えていただく嬉しさ。ヒップホップ、ラテン、ケルト音楽などがその系列(これからはアラブ、アジア、そしてクラシック! にも目を向けたいな)。そしてもう一つ、知っているつもりの音楽知識が、実はごく表層的なものに過ぎなかったことを思い知らされる、若干の悔しさを伴った快感(いわゆる目からウロコ体験ですね)。今回の小針さんによるガーシュウィン特集はまさに後者。

ジョージ・ガーシュウィン。ジャズに関わる人間ならもちろんその名を知っているし、それなりの薀蓄を傾けることも出来るはず。まさに私がそれで、今日は自分が受け持つ朝日カルチャー・センターの講座では「スタンダードの意味」というテーマで、当然ガーシュウィンにも言及した。

ところが、小針さんによる緻密かつ筋の通った解説を聞き、眼からウロコと言うか、自分のガーシュウィン理解が実に浅薄なものに過ぎないことを思い知らされたのだった。小針さんは「ユダヤ」「ジャズ」「ニューヨーク」という三題噺の趣向で見事にガーシュウィン・ミュージックの本質を抉り出した。

ひとことに要約すれば「異種混淆の摩擦と緊張」ということになるという小針さんの主張、実際にさまざまな音源を聞いてみて、なるほどと思った。当時の流行歌、そして黒人音楽への接近、加えてクラシックの領域にまで至るガーシュウィン・ミュージックの奥行きはおっしゃるとおり「ユダヤ・ジャズ・ニューヨーク」といった三つの要素の融合の結果なのだった。

とりわけ「ウロコ感」が強烈だったのはガーシュウィンがクラシックの世界でも一流の仕事をしていたことを音で実感せられたこと。映像で見る小澤征爾による《ラプソディ・イン・ブルー》、その迫力にひっくり返りました! ドイツで行われたというその屋外コンサート、聴衆の歓声を聞くほどにガーシュウィンの出自に思いを至らせられたのです。このあたりの小針さんのたくらみ、深い!

最後に反省を込めて。自分のガーシュウィン理解が浅かったのは、もっぱら「ジャズ」という(当面自分のよって立つ)視点からしガーシュウィンを見ていなかったということに気がつきました。対象をそれ自体として捉える小針さんの王道路線に、改めて眼を洗われたのです。

小針さん、またお願いします!