11月30日(土)

わが盟友、村井康司の新刊『JAZZ 100の扉』(アルテスパブリッシング)発売記念講演、予想以上の集客で店内は満席。今日の対談相手、名高い音楽評論家、湯浅学さんのファンが押しかけたせいもあるだろうが、やはり村井人気、そして新刊への期待の大きさがわかろうというもの。

イヴェントの内容は、村井さんと湯浅さんが『JAZZ 100の扉』からそれぞれアルバムを選び、それを聴きながらコメントするという形式。当初こそお互いに様子を探りつつだったが、場がほぐれるにつれともに座談の名手といわれたお二方、まさに論壇風発でお客様も大喜び。私も聞きながら大笑いの連続。

湯浅さんのお好みが思いのほかディープだったため、なんかこの本がやたら恐ろしげに思われなくもないのでは、などと要らぬ心配もものかは、途中に挟んだ休憩時間に版元、アルテス鈴木さんが用意した新刊はアッという間に売れてゆき、「読めばわかる」とホッとする。

まあ、イヴェントの主旨が新刊の紹介なのだから、講演の内容より本の紹介をする方が適切かと思い、以下は新著について。とにかくいい本です、買ってソンなし。読んで面白いし、またいろいろ考えさせられもする。

具体的に長所を説明すれば、まずアルバム選考の視点がユニーク。ジャズのアルバム紹介本は山のようにあるけれど、限られた100枚の中に、ジャズの王道チャーリー・パーカーライ・クーダーが同居しているなんて、オドロキ以外のなにものでもない。そしてその「同居の理由」がチャンと述べられている本など、私は今まで見たことありません。

そしてそれ以上に素晴らしいのが文章のクオリティ。私の知る限り、これだけの「読ませる」文章を書けるジャズ関係者は、中山康樹さんと調子の良い時の寺島靖国さんぐらいではなかろうか。私など到底足元にも及びません。

そのクオリティの中身をいま少し説明すると、まず読みやすさ。まあ、本職が編集者なのだからアタリマエとも言えるのかもしれないが、判読に苦労するようなところはまったくなく、スラスラと論旨が頭に入る。コレって、実はものすごく高度な文章技術なのですよ。

加えて随所にちりばめられた脱線が面白く、またけっこう薀蓄・含蓄に富んでいたりもして、エッセーを読むような楽しみも味わえるのだから大したもの。そして、何より重要なポイントは、一見肩の力を抜いているようでいて、読めば読むほどに著者のジャズ史、そして音楽全般に対する深い見識が浮き彫りになるところだろう。

ちょっとエラそうなことを言わせていただければ、この本はジャズを聴き込んだ人ほど、その中身の濃さに圧倒されるのではなかろうか。とは言え、前述した読みやすさ、面白さゆえ、ジャズをまったく知らずとも充分楽しめ、これからジャズを聴いてみようか、という方々にこれほどうってつけの本はないのではないかと思う。

「うってつけ」の理由をもう少し具体的に説明すれば、それは著者がジャズしか聴かない「ジャズバカ」ではなく、ロック、ポップス、そしてクラシック音楽にも知悉した幅広い音楽的バック・グラウンドを備えているところから来る、「懐の広さ」が効いている。

いまどきの音楽ファンはジャズしか聴かないとか、ロック・オンリーという方々はむしろ珍しく、幅広い音楽ジャンルをつまみ食い的に聴く方がふつうなのだから、ロックやポップスなど、さまざまな音楽ジャンルからの「ジャズへの道」をわかりやすく提示している本書は、格好のジャズガイド足りうるのだ。

最後に付け加えれば、この本はディスクガイドの体裁をとりつつも、かなり明確に著者の「ジャズ観」が提示されており、また、その理由もすこぶる具体的に記述されている。一例を挙げれば、ジャズで必ず問題にされる「即興演奏」について、スタン・ゲッツの項目で、パーカー、ゲッツ、ロリンズ、ポール・デスモンドドルフィー、オーネットを挙げ、彼らをして特権的な即興演奏家たらしめている要因を、圧倒的な「今・ここ」の感覚だと指摘している。

「先取りでもなく後付けでもなく、即興によって音楽が生成されてゆく瞬間をそのまま聴き手に提示してしまい、それがこの上もなく美しい音楽になっているという奇跡」という実に直裁な言い方でジャズ即興の本質を抉り出している著者のジャズ理解は、まことに深い。まさに「わかって」いるのだ。