4月3日(木)

ボブ・ディランを、高い金払って観に行く。ジャズ喫茶オヤジが、ディラン? と不審に思われ、あるいは「隠れディラン・ファンか?」とカンぐられるかもしれないけれど、ちょっと違う。そもそも私はあまりディランが好きではない。じゃあ、何でよ、ということになるのだけど、私には少々ヘソ曲がりなところがあって「嫌い」あるいは「苦手」なものは、かえって「何でそうなのか」探求したくなるという癖がある。

むしろ好きなものについては、雑誌、編集者の要望が無ければあえて書く気もおこら無いし、つまりは、そのままにしておく。しかし、「嫌い」の理由は気になる。もちろん、箸にもボーにもかからないようなものは、当然気にもならない(というか、そういうものは「イヤの理由」が判然としているので、興味を持ち得ない)。ただ、「イヤだけど、気になる」存在が、「気になる」のだ。

コルトレーンがいい例だった。私がジャズ喫茶を始めた1960年代、コルトレーンは「神様」だった。しかし、私はどうも彼を「拝む」気にはなれなかった。とは言えビッグ・ネーム、当然気にはなる。というか、私にとっての「コルトレーンのイヤなところ」っていったいなんなんだろうということはずいぶん気になっており、たまたま『ジャズ批評』のコルトレーン特集の際、私は自ら望んでもっとも「苦手」だった「後期コルトレーン」を固め打ちで聴き、それなりに納得するところがあった。以後「コルトレーン・アレルギー」は薄れ、あたりまえだけど、彼の凄いところは凄いと素直に認められるようになった。

で、ディランである。彼もデビュー時から「話題の人」で、それなりに聴いてはいたけれどあまりピンと来なかった。まあ、それも当然で、ロイク大好き、R&Bサイコーって思ってる青少年にとって、彼は「ムツカシ」過ぎた。しかし、私がロック喫茶『ディスクチャート』を開く際、参謀格だった中学時代からの友人、惜しくも亡くなってしまったテレビマン日野原幼紀は、さかんにディラン、ディランと言っていたのだった。

明らかに私より音楽についてよく知っていた彼がホメるディランを、私はわからない。いささかコンプレックスを感じていた。しかし、「専門外領域」なのでこの歳までほっておいたが、たまたま湯浅学さん、中山康樹さんらのディラン本が重なり、来日もあるということで、「この機逃がすまじ」となったわけだ。

結論から言うと、この選択、大正解。もちろん一日でディランファンになったわけではないけれど、彼の魅力の一端は充分感じ取れた。しかし、それには友人の「ひとこと」が大きかった。

ファースト・ステージ、曲良し演奏良し。しかしディランの「歌」は、私にはお世辞にも「巧く」は聴こえず、おまけに「一本調子」。で、思わずいっしょに観ている友人に「全部おんなじじゃん」と言ったら、「だけど、ワン・アンド・オンリーだからね」と返された。

なるほどと思い、私なりに「ワン・アンド・オンリー」な部分にピントを合わせて聴くと、それなりに見えてくるものがある。というか、ジャズ聴き始めの人間が「ハードバップって全部いっしょじゃん」と感じてしまう状況と同じだった自分が「ジャズマンの聴きどころ、個性」それ自体に注目するようにして聴いてみると、少しずつ少しずつ「彼の語り口の魅力」が伝わってくる。

歌を技巧ではなく「味・個性」として聴くように耳のチューニング・ダイアルを「ロック耳」というか、むしろ「ディラン耳」に合わせようとしてみると、確かに彼にしか表現し得ないものがある。で、おかしな話だが、セカンド・ステージからは喰い入るようにして歌、というよりむしろ「声」に集中すると、次第次第に気持ちが良くなるではないか。まさにディラン・マジックだ。ファースト・ステージでは半分居眠り状態だったのに・・・

音楽って、誰かといっしょに聴いて、「他人」の「ことば」にも注目してみると「聴こえ方」も変わる。もっとも、その「他人」は「音楽わかっている」人間じゃないとダメだけどね。で、私は自分が「音楽わかってる」なんて夢にも思わないけれど、その人が「音楽わかっている人間」かどうかの判断は、思いのほか的を射ているようなのだ。優秀な「音楽参謀」にはめちゃくちゃ恵まれている。