7月11日(土曜日)

惜しくも亡くなってしまったオーネット・コールマンを追悼するイヴェント、たいへんに意義深いものとなった。それはひとえにゲスト参加していただいたブルーノート東京の原澤美穂さんの貴重な体験談に負っている。そしてもちろん村井康司さん、佐藤英輔さんのオーネットへの思いを語りつつ、お互いの「ベスト盤」紹介がオーネッット・ミュージックの全体像を浮き彫りにしたことが、イヴェントを音楽的に豊かなものとしてことは記憶して置くべきだろう。

イヴェントは2部構成で1部は私が司会で村井さん、佐藤さんにオーネットとの出会い、思い出を語っていただくコーナー。興味深かったのは、傾向として村井さんが前期オーネット中心にアルバム紹介をしたのに対し、佐藤さんはどちらかというと後期ファンク路線。ある程度は予想していたが、これほど対照的とは思わなかった。

ちなみに、村井さんと佐藤さんは同年でお二方とも私よりは10歳ほど年下。興味深かったのは、佐藤さんが70年代半ばに発表された『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』を同時代的オーネット初体験と言っていたこと。私はそれ以前からオーネットを聴いてはいたが、積極的オーネット・ファンになったきっかけは、佐藤さんと同じ『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』から。

佐藤さんと音楽の好みの傾向が似ているのは、こういうところにも現れているようだ。他方、村井さんは体質的にオーネットの感覚に近く、私などが若干距離を置くような前期の「不思議な作品群」をも許容範囲。なにしろ二人とも魚座だしね・・・

休憩を挟んで後半は佐藤さんが原澤さんを紹介しつつ、原澤さんのオーネットとの出会いから彼のスタジオを訪問するに至るまでの体験談だが、これが圧倒的。ほんとうに偶然の出会いから東京の街中でオーネットと出会った原澤さんが、熱心なオーネットファンとなる過程はまさにドラマ。

しかしその根底には、まずもってオーネットの音楽の魅力があり、それに原澤さんが魅了されたということでは、僕らと同じ。しかし、幸運にも晩年のオーネットと親しく交流できた原澤さんならではのオーネットの人柄を表す体験談は、まことに貴重。

まず興味本位的な話に限っても、オーネットとロリンズが仲が良く、手をつないでニューヨークの街を歩いていたというエピソードは、なんともいえない豊かな気分にさせてくれる。またオーネットはセシルとも仲が良く、二人でジェリー・ガルシアの公演を観に行ったなどという話を聞くと、ニューヨークって、ジャズマンって、いいなあ、と素朴に憧れるのでした。

もう少し音楽的な話をすると、2部のメインともなった佐藤さんがオーネットをインタビューした際のテープが興味深い。白眉はなんと言ってもオーネット自身の口からハーモロディクスの説明が聞けるところ。オーネットは佐藤さんの質問に答え、「FACE」と書いてみなさいといい、そこからそれらの文字が持つ音楽的意味(A=イetc)にまで話が及ぶ。

実を言うと私も同時期オーネットのインタビューを行い、同じ質問をしたのだが、回答はまったく違っていた。しかしそれはオーネットが気まぐれなのではなく、彼は相手を見て適切な「たとえ」で彼の考えを開陳したのだろう。

というのも、オーネットは原澤さんには自分からハーモロディクスとは何かをたいへん熱心に繰り返し説明したそうだ。原澤さんの口から出たそれらの「説明」を要約すれば、具体的な音楽理論というより、むしろ人間の外界(自然や他者)に対する接し方や態度のようなものに思える。

実はこうした感想は、私自身がインタビューの際オーネットの「たとえ話」を聞いたときに抱いた印象を裏付けるもので、要するに外界に対する「見方の問題」であり「態度の問題」なのだと理解した。つまり固定した観念に捉われることなく、柔軟に外界に接すれば、自ずと「斬新な視点」が現るということ。そしてこれはまさにオーネット・ミュージックそのものではないか!

そういう意味ではなんとなくではあれ、オーネットに抱いていた印象(それは音楽観であり、また人柄でもある)を原澤さんの証言が裏付けてくれたように思えるのだ。これは私にとってはたいへんに貴重な機会であった。とにかくオーネットは人が良く、誰からも心から愛されていたようだ。私も親しくお話させていただいたとき感じた、なんとも言えない温かなオーラが今でも忘れられない。ともあれ、まさしく「ジャズの巨人」と握手させていただいた体験は、私にとってかけがえのないものとなるだろう。

村井さん、佐藤さん、原澤さん、素敵な追悼イヴェント、ありがとうございました!