1月23日(土)
久しぶりに音楽を聴いていて身の毛がゾワゾワするような感覚を味わった。もちろん音楽の力である。おおしまさんによる「文明の衝突」講演、極めて質の高い音楽的感動を受けると同時に、音楽の不思議、そして、自分自身の感受性の傾向などについていろいろと考えさせられる、貴重な体験となった。
今回の講演をもの凄く大雑把な言い方で括れば、ワールドミュージックの一種、あるいはその発展系と言うことが出来るかも知れないが、内容はけっこう複雑だ。後日選曲リストが発表されるが、ロシアのピアノをバックにトゥバのホーミーとセネガルの歌が絡む、などという現象は、一昔前の“ワールドミュージック”には見られなかったのではなかろうか。民族音楽とポップスの融合がワールドミュージックだとするならば、これは複数のフォークソングが絡み合う“二次融合”的音楽だ。
聴き終った感想を、僭越を恐れずにひとことで言えば、極めて耳の優れた人の選曲、である。こういう物言いは「上から目線」的に聞こえてしまうかもしれないが、本意は、私のようなこの手の音楽の初心者にも、講演の趣旨を崩さずに、しかも音楽的感動を与えるトラックを提示できる、優れた能力の持ち主による選曲、と理解していただきたい。つまり、お勉強にはなっても音楽的感動は伝わってこないような頭でっかち選曲ではないのである。このことは、講演終了後のお客様方の極めて好意的な感想の数々によっても裏付けられる。
最初に“二次融合”についておおしまさんに教えていただいたことを概説すると、90年代に話題となったワールドミュージック・ブームによって、ヨーロッパ各地でその手のミュージシャンが複数出演するフェスティヴァルが数多く開催され、そこでお互いに知り合ったミュージシャン同士が国境を越えて交流する機会が増えたことが、融合現象の背後にあるそうだ。加えてCDの普及によって音源発表コストが下がり、多様な音楽を容易に聴くことが可能となったのも、こうした状況を後押ししているという。(この説明については、私の稚拙な要約なので、後日訂正があるかもしれません)
こうした知識も有難かったが、私にとってのより本質的な驚きは、成立条件が異なる固有の文化背景を持った音楽同士が融合しているという事実である。その優れた具体例を挙げると、イランの古典歌謡とゴスペルの共演である。ふつうに考えると「色物」あるいは「際物」にしかなりそうも無いと思える音楽が、私に正真正銘の音楽的感動を与えたのである。イラン古典歌謡の女性歌手も、男性黒人ゴスペル歌手も、まったく自分の音楽を崩すことなく、両者が融合している。これは驚きであると同時に、不思議な感情ももたらした。どうしてそんなことが可能なの?
アフターアワーでのおおしまさん、荻原さん(去年『Jazz’n Africa』という優れた講演をしていただいた荻原和也さん)らのご意見では、極めて優れたミュージシャン同士ならそういうことが可能なのではないか、ということだったが、そうだとしても不思議である。また、この日の講演で紹介された音源は「成功例」であって、あんまりうまくいかず、それこそ「衝突」に終わっているものも多数あるという。これは納得だ。
個人的感想だが、私にとって圧倒的感動を与えてくれたのは、前述の高度の技巧に支えられた静謐でありながら力強いイラン古典歌謡の女性歌手(Mahsa Vahdat)や、包み込むような声のアイルランドの女性歌手(Susan McKeown)、そして大地からじかにパワーを受け取ったようなブルガリアン・ポリフォニーなど、女性歌手たちの声の力だった。彼女たちの歌には技巧を超えた存在感が漲っている。もっとも、そう感じるのは私が男だからというバイアスのなせる業かもしれないが、、、
それらに比べ、インスト部分については、もちろん素晴らしいとは感じたけれど、楽器音による快楽はジャズで日常的に受け取っているせいか、声の力ほどには驚かされなかった。この件については、インスト音楽の方が理解に時間がかかり、まだ私にジャズ以外のインスト音楽に対する感受性の訓練が出来ていないだけの話かも知れず、その可能性は高い。
最後に、当然だがおおしまさんはこれらの音源を良しとして選択されたはずで、一部ではあれ、音楽的感動という形でその「おおしまさんの耳」に近づけたことが、私にとってことのほか嬉しかった。「音楽的同士」はこうして結びつく。