3月17日(土)

ジャズ以外の音楽ジャンルの講演で、これほどスンナリ音楽に溶け込めるようになるとは… 昨年の大地震で延期となった荻原さんの『サンバの“超”粋な男と女たち』、最初のトラックから音楽とそれに対する荻原さんの説明が砂地に水のごとく耳とアタマに染みとおって行く。

日本語で言えば“粋”に当たるようなサンバの美学“ボッサ”、確かにシロ・モンテイロの歌声から聴き取ることが出来ました。また、「ちょっと歌謡曲っぽい」と荻原さんによって形容された女性歌手、マイーザの歌声の“濃さ”、一発でわかりました。

こういう体験があると、私もちょっと“サンバ耳”というか“ラテン耳”が出来つつあるのかな、などとほんとうに音楽を聴くことが楽しくなっちゃいます。最近講演をやっていただいてほんとうに良かったと感じることが多いのですが、今回は「未知の音楽への耳が開ける」という、音楽ファンとしての最高の喜びを感じさせていただきました。

しかし、ここに至る道はわりあい明確に説明出来るように思います。まず、ここ数年荻原さんはじめおおしまさん、伊藤さん、そして先週の山本さんと、ラテン圏を中心としたアメリカ以外の音楽講演による下地が出来ていたこと。

とりわけ、荻原さんが講演のあとで、かけた音源を分けて下さるのですが、「フレンチ・カリブの誘惑」や「カルトーラとノエル・ローザを偲んで」など、このところほぼ毎日のように聴きまくっており、「耳から」ラテン・ミュージックの「聴きどころ」を掴みつつあるということが大きいように思います。

また、今回の講演でも見事に発揮された荻原さんの「説明のうまさ」も手伝って、「耳とアタマ」の両方からサンバの聴きどころが伝わってきたのです。「耳とアタマ」実はこのことが私が「いーぐる連続講演」を行う目的であって、すなわち活字では伝わり難い音楽の魅力を、「音とコトバ」の双方をリンクさせつつファンに伝えるのが狙いなのです。

ひとつ面白いことに気がつきました。それは音楽の魅力を伝えるコトバのあり方に大きく二つの流れがあることです。たまたま同じラテン・ミュージックの聴きどころを伝える講演が前回もあったのですが、前回の山本幸洋さんの説明の仕方が、リズムの拍をどう捉えるのか、とか、“クラーべ”のジャズリズムへの転用といった、具体的な演奏法について大きな時間を費やしていたのに対し、荻原さんは「“ボッサ”の感覚は日本語の“粋”に当たる」というように、聴こえてくる音楽が伝える“感覚”をコトバで表そうとなさっていた。

これはどちらも大事な説明のあり方だと思うのですが、どちらかというと山本さんの説明の方法は、実際に対象となる音楽を演奏したことがある人には実にわかりやすい反面、一般音楽ファンにとっては若干敷居が高いのかな、という感想を持ちました。個人的には「音楽が伝える感覚をどうコトバによって言い表すか」という、荻原さん流の解説の方が一般性は高いように思います。