7月12日(土)

村井康司、大和田俊之、そして柳樂光隆、今一番注目を浴びている音楽評論家が一堂に会する。これだけで注目を集めることはわかっていたけれど、まさかこれほどお客様がおいでになるとは! 明らかに誤算でした。というのも、テーマがフュージョンなだけに、いまどきのみなさんに果たしてどれほどの関心をもたれるかに、一抹の不安があったのだ。

「いーぐる」の席数50をはるかにオーバー、トータル60名を超えるお客様の一部はやむを得ず立ち見。しかし「それでも話を聞きたい」という熱心なお客様にはやむを得ず臨時の小椅子や、果てはワインの段ボール箱にお座りいただくなど、ご迷惑をおかけいたしました。この場を借りてお詫びいたします。

会場の熱気を集めてパネラーの方々の話にも熱が入り、私も聞いていて実に面白い。極め付きは、大和田さんの奥様が大のフュージョン嫌いという話。大和田さんはいったいどこまでが「許容範囲」なのか確かめるべく、いろいろフュージョン「っぽい」音源をかけ、奥様の反応を探るという話に場内爆笑。

これは私なども身につまされる話で、ジャズはまあいいとして、自宅で個人的に聴くCDで家人がいるときは「封印」しているものがけっこうある。たとえばエイフェックス・ツインなどは「なに、この音」と明らかにご不満気。ジャズ、クラシック以外でOKなのはワールド・ミュージック、特にラテン系はけっこう人気です。

それはさておき、今回のメインテーマ「3世代が聴くフュージョン」という設定、必ずしもフュージョンに限らない「音楽の聴き方」の違いをあぶり出し、個人的に極めて興味深い。と言うのも、自ら「ジャズ評論家」と名乗る通称『グラスパー本』(シンコーミュージック)の監修者柳樂さんにしろ、名著『アメリ音楽史』(講談社選書メチエ)の著者、大和田さんにしろ、そしてこれまた『JAZZ 100の扉』(アルテスパブリッシング)で話題の村井さんにしろ、私の見たところそれぞれ微妙に音楽の聴き方が違うようなのだ。

まあ、今日のイヴェントはフュージョンがテーマなので、あまりその「違い」についての議論ばかりするわけにも行かないだろうが、この話、突っ込んでみると面白そう。また、議論の大前提ともいうべき「カテゴリー名称の問題」が大和田さんから出され、これは面白い。つまり私たちがいう「ジャズ」「フュージョン」などのカテゴライズと、アメリカにおけるジャンル名、及びカテゴライズが微妙にズレているようなのだ。

この件はだいぶ前にcom-post同人、八田真行さんが教えてくれたが、とにかく現代のアメリカにおける「ジャズ」は私たちの思い描く一般的ジャズとは少々違うらしいのだ。だから、現代の若手ミュージシャンのインタヴュー記事などを、そうしてズレを知らないで鵜呑みにしてしまうと、けっこう誤解がおきそうな気がする。というか、すでに起きているようだ。アメリカでは、いわゆる「スムース・ジャズ」も立派なジャズなのだそうだ。

もうひとつ面白かったのはテクニック論。つまりフュージョン不評の一因に「巧いだけ」というのがあるけれど、そもそもジャズはヘタじゃ演奏出来ない。では巧くても良い演奏と巧いだけとケナされる演奏の違いはどこにあるのか? これも音楽評論における重要なテーマだろう。

ともあれ、こうした興味深い論点がいくつも出てきたことだけでも、今回の講演は実り多いものだった。詳細はいずれ文字お越ししたものが出るということなのでこの程度にして、私自身の感想を少々。いろいろな音源を聴いたけど、総じて「懐かしいな」という思いが強く、いわゆる「批評的」な意見は音からはあまり起こらなかった。

というのも、個人的に、フュージョンはジャズと隣接した音楽ジャンルだがジャズとは微妙に価値観が異なる音楽という意見なので、正直「他人事」の感覚が強い。良いものもあれば感心しないものもあり、また個人的に好みのものもあれば、ちょっとなあと思うものもある。ただ、それだけで、ジャズのようにそれについて一生懸命考えてみようとはあまり思わないのだ。

まあ、それだけではあまりにも無愛想なので気に入った音源を挙げておけば、やはり個人的に愛聴していたスティーリー・ダンのエイジャが良かったですね。最もそれについては、打ち上げの席で元はちみつぱい、現在は『ステレオ・サウンド』で健筆をふるっておられるオーディオ評論家、和田博巳さんが、「あれはきちんと出来過ぎていてキモチ悪い」とおっしゃっていたが、それもわかる。

このように打ち上げもまたディープな音楽談義の花が咲き、音楽をめぐる楽しい一日を満喫させていただきました。大和田さん、柳樂さん、そして村井さん、ぜひ続編を!