2月14日(土)

のっけから自画自賛で申しわけないが、『いーぐる連続講演』このところ毎回たいへん面白く、かつ実に有意義。そもそもこの講演はジャズ評論家の発掘、養成を目的として始めたものだが、近年確実にその成果が結実している。今回の大谷能生さんによる「ほんとうはおそろしいMJQ:ジョン・ルイスの奇妙な世界」など、その際たるもの。まさに「名講演」と言っていいだろう。

吉田隆一さんによるエリック・ドルフィーアルバート・アイラーなど、一連の好評な講演といい、このところ「ジャズ評論」の世界は確実に世代交代し、かつ明らかにレベルがアップしているのが実感され、実に嬉しい限り。

もちろん、大谷さんといい、吉田さんといい、おこがましくも『いーぐる連続講演』が発掘したわけではなく、大谷さんなど遥か昔から菊地成孔さんとの共著で注目されていたのだが、意外なことに(保守的な)ジャズ界では、必ずしも正当に評価されていたとは言いがたいようだ。これは打ち上げの席で大谷さんがご自身で語られたことだが、「思いの他ジャズ界からの反響はなかった」とのこと。「意外」というのはそのことで、私などずいぶん前から菊地×大谷コンビの共著に注目していたからだ。

話を今回のMJQ:ジョン・ルイス講演に戻せば、私が優れた講演の必須条件とする「新視点」、「音による説得力のある解説」という「言うは易く、行うに難い」作業を大谷さんは確実に成し遂げているところが素晴らしいのである。おまけに、大谷さんは「伝わってなんぼ」というところを実に良く理解されており、観客の反応を見ながらのサービス精神旺盛な語り口はほんとうに見上げたもの。

何より私自身「目からウロコ」だったのは、人間のものの捉えた方が実に「ご都合主義」に満ちているかということを再認識したこと。具体的に言えば、もちろんMJQにしろジョン・ルイスにしろ私自身それなりの評価があり、「解っている」つもりだったのだが、その「つもり」がいかに「フィルター」にかけられたものだったのかを今回の講演によって実感したのだった。

それは世間に流通しているMJQなりジョン・ルイスのイメージが、比較的「わかりやすい」あるいは、「ふつうのジャズ」の文脈で捉えられていることが端的に示している。

そうなんです。良く考えてみれば、ジョン・ルイスという人はパーカーのサイドマンを務め、「ジャズ本流」のように見えながら、なんと「サード・ストリーム・ミュージック」などと言う「ジャズの鬼っこ」にもずっぷりと浸かった経歴の持ち主なのだ。おまけになんとあのアップル・レコードからもアルバムを出すなど、良く考えてみれば大谷さんの言うとおり「奇妙・不思議」としか言いようの無い人物。

にもかかわらず、彼が率いるMJQはジャズファン人気投票などの上位に常に顔を出しているという、この大矛盾。これこそがまさに故中山康樹さんの至言「無かったことにされたジャズ史」なのだった。つまり、人間はわけのわからないものはとりあえず「無かったことに」する、ことによって、「解りやすいストリー」、この場合はいわゆる「ジャズ史」を紡ぎあげる。

私にしても「サード・ストリーム」やらガンサー・シュラー周辺の音源は当然聴いており、もちろんアップル時代のMJQも新譜で購入している。にもかかわらず、その辺りの「不透明部分」は「無かったこと」にしているフシが無きにしも非ずだったのだ。

そこに鋭いスポットを当てた大谷さんの講演は、まさしく「批評」の王道である。大いに啓発されました。他にも、ジョン・ルイスを軸にしてジャズ史を眺めてみると、マイルス中心史観とはまた「別の景色」が見えてくること(オーネットやドルフィーの意味)など、本当にヒントの山。こういう有能かつ有益な人材は絶対に手放しませんので、大谷さん、今後も講演、ぜひよろしく!

追記すれば、最近惜しくも亡くなった中山さんが近年提言し続けていた「新視点によるジャズ史の見直し作業」は、大谷さんや吉田さんといった有能な若手評論家のみなさまがたによって確実に担われている。ジャズ界の未来は明るい!