10月5日(日)

不思議な暗合ということがある。いつも見ている内田樹さんのブログを読んでいると、野田秀樹の「AERA」の記事を引用して、彼が出演した芝居のことが書いてあった。30年も昔に俳優座で行われた(というか右翼の街宣車が襲来して中止になったのだが)この芝居は、「劇団駒場」主宰、芥正彦(『三島由紀夫VS東大全共闘』)に登場している)の挑発的演劇だったのだが、偶然にも私は現場に居合わせているのである。確か、「メアリー・ジェーン」の福島哲雄さんも一緒だったと思う。どういうわけか、六本木俳優座の屋上に上がって右翼の街宣車が押し寄せてくるさまを二人して眺めていたことを思い出す。
なぜ、格別「左翼的」というわけでもないジャズ喫茶店主二人がこんな過激な演劇を見に行ったのかというと、阿部薫が出演したからだ。いーぐるの常連だった芥を介して、私たち二人は阿部を紹介された。そういう縁があったので、芥の「傾向演劇」(古いなあ)を見物に行ったのだった。
暗合というのは、2、3日前、珍しく近所の公園で芥に会ったからだ。まあ、住まいが近いので会うことは不思議でもないのだが、昼前に芥が公園の鉄棒にぶら下がっているのはなぜかおかしかった。ちょっとした雑談をして分かれたのだが、時を同じくして、内田さんが30年も昔の、一日限りの芥の芝居の現場に居たという日記が出たというのがおもしろい。
こんなものを見に行っていたなんて、内田さんという方も物好きだなあと思ったが、この芝居のプロデューサーだった万代さんとはクラスメートだそうだ。当時いーぐるで劇団駒場の打ち上げをよくやったので私も劇団員たちを知っているが、その中で唯一万代さんは「常識人」だと思ったが、内田さんに言わせるとやはり「奇人」であったらしい。もっとも、今では有名な社会学者である橋爪大三郎さんも、かつては劇団駒場の団員で、新宿の歩行者天国阿部薫のアルトに合わせて舞踏をしていたというのだから、やはり当時の東大はかなりおかしなところだったのだろう。
この事件の少し後だったか、阿部は死んでしまった。死の直前、阿部から毎晩のようにして間章に対する愚痴ともなんともつかない長電話があったが、阿部の死から1ヶ月もしないうちに間も死んでしまった。なんだか訳のわからない時代だった。