7月11日(土)
いーぐるにはコワいお客さんが多い。ほとんど毎日のように顔を出し、数時間じっくりとジャズを聴いている。この方たちは気になるアルバムは必ずジャケットを確認し、メモなさっている。当然選曲には手を抜けない。同じようなアルバムを続けてかけるなど論外である。しかし、こういう方たちがいる限り、「ジャズ喫茶の存在意義」を肌で実感できるのである。ありがたいことだ。
そして嬉しいことに、そういう方々の何人かが今日もまたいーぐるにおいでくださり、益子さんの新譜特集を熱心に聴いてくれる。この方たちといっしょに今のジャズを聴くということが、同じジャズファンとして嬉しい。
「2009年上半期 NYダウンタウンを中心とした新譜特集」は、つい最近ニューヨークに滞在してきたばかりの益子さんが現場の空気をCDで紹介するもの。ゲストの原田さんとともに各ミュージシャンの横顔、最近の動向などを詳しく伝えてくれるが、実はこうした情報は既存のジャズ雑誌ではまったく報道されていない。
あるジャズ雑誌関係者は「やっても反響が無い」というが、それは「伝えないから知らない、知らないから反響が無い」という悪循環に陥っているだけのことだ。知名度、関心は伝えてこそ生まれる。私たちのジャズサイトcom-postは、及ばずながらそうした生の情報を伝えようとしている。
それはさておき、今回の特集では私の個人的好みがはっきりとなった。要するに躍動的でパワフルなものが好きで、いまどきの「内省的な」演奏はどうもピンとこない。ちなみに気に入ったアルバムは、Mark Zubeck / Twentywodollarfishlunch / Frersh Sonud, Ingebring Haker Flaten, Hakon Kornstad / Elise / Hemlandssanger Compactio, Jim Black / Houseplant / Winter & Winter, Tony Malaby / PalamaRecio / New Word Record, John Hebert / Byzatine Monkey / Firehouse 12 Record といったところ。
質疑応答で、お客様から「ピアノ入りが少ないが、これは最近のジャズの傾向なのか」という質問があったが、益子さんは、たまたまそういう選曲となっただけだが、一般にニューヨーク、ダウンタウンのジャズクラブにはピアノが置いてあるところが少ないということもある、という説明だった。
このやり取りを聞いてちょっと思ったのだが、益子さんの好みもあるのかもしれないが、確かにピアノレスというのは「近頃のジャズ」のひとつの傾向なのではないだろうか。というか、私が感じる「いまどきのニューヨークの音」は、好みのものも、そうでないものも、「アコースティックピアノを含まない音楽」という切り口で見えてくるようなのである。
しかしこれはオーネットの音楽の伝統であり、エレクトリック・マイルスの行き方でもあった。ヨーロッパ音楽の規範である平均律から逃れること、これが彼らの音楽の暗流としてある。ちなみに、今回益子さんがかけた橋爪亮督の《Guitar》を聴いたとき、橋爪のテナーはいかにも「今の音」だったのに、浜村のピアノが出てきたとたん、「昔ながらのジャズ」の世界に引き戻されたような気分がした。ここに何かがあるのではないだろうか。