7月14日(土)

本日のイヴェントはcom-postが主催。「いーぐる」は場所提供。とは言え、com-postメンバーでもある私はパネラーも務めるので、けっこう緊張。それもそのはず、ゲスト・パネラーはそれぞれ名を知られたその道の第一線級の方々ばかり。文筆家であり音楽制作者でもある高橋健太郎さん、評論家、栗原裕一郎さん、アメリカ文学、ポピュラー音楽研究家、大和田俊之さん、そして私などがあまり詳しくないクラブ・カルチャーで健筆を振るう異色の音楽ライター、磯部涼さんといった、まさに現代シーンの第一線で活躍される方々ばかり。

正直に言って、こうしたお忙しい方々がcom-postという、まあ、マイナー音楽サイトが主催するイヴェントにおいでくださるとは思わなかったのだが、とにかく現在考えられる最高のメンバーにオファーしてみようという向こう見ずな試みが、図らずも実現してしまったというのが真相。

そうした経緯もあるので、主催者側の一員である私は、とにかくゲストの方々が心行くまで意見を述べられる場を作ることをまず考えた。しかしそうした心配も、およそ30分ほどもシンポジウムが進行するうち氷解、まあ、とにかく凄い方たちです。自分のことばでわかりやすく自説を開陳することにかけては、みなさんほんとうに感心するほど手馴れていらっしゃる。

動画中継を行ったのでご覧になった方々には言うまでもないと思うのだけれど、まさに湧き出る泉のごとく話題が尽きず、事前には進行段取り等、私同様少々心配の様子だった司会の村井さんも、むしろ手持ち無沙汰。途中から私も安心し、ほんとうはイケナイのかもしれないけれど、観客の一員としてゲストの方々の「ここでしか聞けない」業界秘話に耳を傾ける。

詳しい内容はいずれcom-postが活字化する予定なので立ち入らないが、とにかく「ジャズ界」という、ある意味狭い空間に居たのではゼッタイ見えてこない興味深い話題が、ポピュラー音楽批評、研究、文芸評論、そして深く現場にコミットした方々から次々に展開され、パネラーでありながら思わず話に聞き入る始末。おそらくこの思いはおいでくださった方々も同じだったのではないだろうか。

ひとつだけ胸に残ったことばを書き留めれば、最後の質疑応答の際、「批評がミュージシャンの音楽に何がしかの影響を与えると思うか」というお客様の質問に対し、磯部さんが「私の言ったことばに影響されるようなミュージシャンじゃしょうがない」というような意味合いの答えをされたのだが、それが私の積年の思いに確かな回答を与えてくれたように思ったことだった。

これは今回のシンポジウムのテーマ、「批評とは何か?」という根源的な問いかけにも絡んでいるので詳しく説明しよう。思うに、「音楽批評」にはさまざまなスタンスがあっていいと思う。お客様のご質問のように、直接ミュージシャンに語りかけ、そのミュージシャンの音楽性の向上に寄与しようというもの。あるいは、聴き手に向け、「ジャズとはどういう音楽か?」ということを解説するのも、どちらもアリだろう。

私はといえば、シンポジウムでも言ったことだが、ジャズ喫茶のオヤジが成り行きでジャズ評論家になったようなところがあるので、おのずと「ジャズ喫茶オヤジ体質」が抜けきれない。どういうことかというと、ジャズ喫茶オヤジの最も重要な仕事は、選曲という行為を通じ、ジャズを楽しんでいただくこと。これに尽きる。

とは言え、ほんとうにジャズが好きならば、単に「楽しませる」に留まらず、でき得れば「良いジャズ」「ジャズらしいジャズ」をご提供したいと願うのは当然だろう。もちろんその場合の判断基準はどうしたって私の理解、感受性の範囲を超えはしない。そうした「自分の能力の限度」をわきまえる気持ちさえあれば、「私の感性が正しい」などとは思うはずが無い。

要するに「自分の感受性」がどこまで「良いジャズ」「ジャズらしいジャズ」に届いているかはわからないのだけれど、出来うる限り、その理想に近づくべく努力するのがまっとうというものだろう。私がジャズ本を書くときの姿勢も、まったく同じだ。

話を元に戻せば、私は「すでに存在するジャズという素晴らしい音楽」を、如何に良いカタチ、わかりやすいやり方でファンにご紹介するか、ということが主眼であって、「ジャズマンに物申す」などという発想はテンから無い。

だってそうでしょう。私がジャズに開眼したチャーリー・パーカー様に対し、「パーカーさん、もっとこんな風に吹いたらどうでしょう」なんて、思うわけが無いじゃないですか。まあ、パーカーはすでに死んじゃっているという事実を度外視したって、天才に向かって、どう考えたって凡庸な一ジャズファンに過ぎない私ごときが、何か提言できるって考えること自体がお笑い種でしょう。それはマイルスにしたってエヴァンスにしたって同じことだ。

まあ、パーカー、マイルスらは極端としても、明らかに私などより想像力、才能とも豊かなミュージシャンたちに向かって、なにかサゼスチョンできると考える方がどうかしている、って思ってしまうのですね。と言うか、私の目から見ても「ちょっとモンダイだなあ」などと思えるミュージシャンには、最初から私は関心が無い。だから提言などしない。

話を再び大本に戻せば、磯部さんが言ったことばを私なりに解釈すれば、われわれは、自分を思いもよらない世界に連れ立ってくれるようなミュージシャン、音楽を求めているのであって、自分の想像力の範囲で変化してしまうような(ヤワな)ミュージシャン、音楽など、さして興味が無いということなのではなかろうか。少なくとも私はそう考えている。

また私の場合は、「ジャズという、異文化」に属する音楽だから」という面も少なからずあるように思う。たとえばの話、外国人が歌舞伎の演技に対して「こうした方がいいのでは?」などと言ったとしても、誰がマトモに取り合うだろか。

少々私事を語りすぎたようだが、ことほど左様に今回のゲストの方々の発言は私を強くインスパイアーしたのである。磯部さんの発言はホンの一例に過ぎない。つまりは、今回のシンポジウム、おそらくお客様方もそうだったと信じているのだが、ものすごく私にとって「栄養」になったのである。なにごともやってみるものである。

当然のごとく打ち上げも和やかに進行し、2次会にまでお付き合いくださった栗原さんからは、実に興味深い「いまどきの文壇事情」の一端を聞かせていただいた。どの世界もいろいろタイヘンなのである。