5月29日(土)

 今日のいーぐる連続講演は、鈴木洋一さんによる「チャーリー・パーカー vs “パーカー派”十番勝負」。もちろんこの勝負、最初から結果は見えているのだが、狙いは単なる勝ち負けではなく、パーカーの影響を受けたアルト奏者とパーカーの演奏を同じ曲で聴き比べることによって見えてくる、パーカーの音楽の特殊性と、それぞれのパーカー派ミュージシャンの個性だろう。
 その狙いは見事に当たり、改めてパーカーの凄さとそれぞれのパーカー派アルティストの位置付け、持ち味などが良くわかった。個人的にはやはりマクリーンが良く、パーカーとはまったく異なる世界ではあるけれど、マクリーンならではの哀愁路線の説得力は格別。また、ドルフィーはいわゆる“パーカー派”とは一線を画したオリジナリティを見せてくれたが、その根底の姿勢として、パーカー的な表現を求めていることが良くわかった。
 とはいえ、やはりパーカーの描き出す世界は別格で、しかしその違いをいかに「ことば」に移し変えれば良いのか、鈴木さんは苦闘していたようだが、それもまたパーカーのような特別の存在なら無理もない。簡単な形容に収まらないからこその魅力なのだから、、、
 この、ジャズの魅力を言葉に置き換えるということはなかなか含蓄があり、一部の人が訳知り顔で「音楽は感じればそれでいい」という、わかりやすい常識を超えたところで効果を発揮する。確かにポップスなどは「感じればよい」種類の音楽かもしれないが、ジャズの魅力の「奥の細道」に迷い込んだ私たちジャズフリークは、それではすまないのである。何でこんなに凄いのか、ということを言葉に置き換えずにいられないのだ。
 またより具体的な効用もあって、それは当日も参加してくれた高野雲さんが新著『超・音楽鑑賞術!』(ヤマハミュージックメディア)で紹介していた聴きながらメモを取る方法で、これはジャズマンの聴き所を掴む効果がある。初めて聴くミュージシャンなど、単に「ギザギザした音」とか、「マシュマロのような感触」などとまったく個人的感想でかまわないから、とにかく音から受けた印象を言語化すると、次第にそのミュージシャンの個性、特徴が掴めてくるということがある。
 そうした体験が鈴木さんも高野さんもあったのだろう、打ち上げの席でも、お二人はパーカーについて、ドルフィーについて熱く語り合っていた。こうした試みの先には、優れた音楽の聴き所をわかりやすくジャズ入門者に伝える、ジャズ評論家の役割に通じる道が開けている。現に高野さんはその役割をブログや著書で果たしつつあるのだから、、、