12月8日(土)

ジャズを語るもっとも一般的スタイルは、マイルス、コルトレーンといったミュージシャンについて言及することだろう。次いでアルバムに対する評価、そしてその流れの上にブルーノート、プレスティッジといったレーベルについての薀蓄がある。ある程度ジャズに通じたファンはだいたいこのあたりのことには通暁しているものだ。

そして音楽に対する興味、関心がより深くなると、アルフレッド・ライオンやら、オリン・キープニュースといったプロデューサーの存在が気になってくる。実際、プロデューサーに注目してアルバムを眺めて見ると、それまでとは違った景色が見えてくるものだ。

今回の山中修さんによるクリード・テイラー特集は、そうしたコアなファンの要求を満たす実に中身の濃いものだった。私自身、教えられることが多かった。

冒頭、クリス・コナーの名盤『バードランドの子守唄』(Bethlehem)がかかり、これがクリード・テイラーの初仕事と知り、若干意外に思う。だが、クインシー・ジョーンズ『私の考えるジャズ』(Paramount)、ギル・エヴァンス『Out of Cool』(Impulse)、オリヴァー・ネルソン『ブルースの真実』(Impulse)と並べてみると、何とはなしに見えてくるものがある。

クリード・テイラーはしっかりと作り込むタイプのプロデューサーなのだ。コルトレーンにしても、彼が手掛けたのは豪華なバック・オーケストラを従えた『アフリカ・ブラス』(Impulse)である。

こうした背景がわかってみると、ジミー・スミスの名を一般ファンに知らしめた『ザ・キャット』(Verve)にしろ、ウェス・モンゴメリーの大ヒットアルバム『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』(A&M)にしろ、クリード・テイラーがいなければ絶対に生まれてこない種類の作品だということが身に沁みて実感される。

そして、その延長線上に70年代CTIの諸作があることがわかれば、おのずとクリード・テイラーに対する見方も変わってこようと言うものだ。EMI行方さんはじめ、今年講演をお願いした多くの大物プロデューサーの方々が、口を揃えてクリード・テイラーに対する敬意を表明していた理由がはじめて実感として理解できた。

フュージョン・ファンには絶大な人気を誇ったCTIも、当時のコアな(というか少々頑迷な)ジャズファンからは「コマーシャリズム」の烙印を押されたりもしたものだったが、改めてクリード・テイラーの経歴を概観してみると、決して「売らんかな」一辺倒のものではないことが見えてきた。

60年代半ば以降、ビートルズの出現に象徴されるロック旋風はジャズのマーケットにも影響を与え、それまで限られたファンを対象としていたジャズ・レコード制作も、ロックの販売枚数と比較されざるを得ない厳しい状況を迎える。

1970年にクリード・テイラーが独立して設立したCTIレーベルも、そうした困難な状況における一つの優れた選択肢としてみれば、やはり彼の力量は評価されてしかるべきだと思う。

しかしこうした視点は、今回山中さんの講演を聞かなければ見えてこない種類のものだった。つまり「知っているはずのもの」に対し、的確な補助線を引くことによって新たな見方を提案する「批評行為」の王道を、見事、山中さんは提示してくれたのである。

前々回の杉田さんの講演にしろ、今回の山中さんの講演にしろ、いーぐる界隈から優れた講演者の方々が現れたことを心から嬉しく思うと同時に、お二人のような名講演を目指して私もがんばらなきゃと思う今日この頃である。