2月9日(土)

今日、「いーぐる」でコール・ポーターの特集をしていただいた小針さんと私は同世代。しかし、ジャズへのアプローチはだいぶ違う。小針さんは子供の頃からアメリカ映画をよくご覧になり、ハリウッド・ミュージカルの華麗な世界に魅せられ、そこからジャズに興味を持ったという(カッコいい)。

他方、子供の頃の私はというとゴジラアンギラスラドン(さすがにモスラから見なくなったけれど)などの怪獣映画一本やり。オトナになってもどちらかと言うと「黒め」ジャズが好みで、そういう意味ではまさに小針さんとは正反対。

だから、小針さんの講演はそれこそ砂漠に水が染み込むように吸収率が良く、おっしゃることの一つ一つが凄く勉強になる。ところでコール・ポーターだが、あまりスタンダードの世界に詳しくない私が「作曲家指名」で好きな唯一の存在。

その理由は当たり前だけど、曲想が好み。しかしポーターの特徴をうまく説明するのはけっこう難しい。私なりの理解では、躁と鬱の巧みな交代、そして華麗さの影に秘められた陰影の濃さ、と言ったところか。つまり一種のひねりがあって、しかしそれがあざとさとはなっていない。

小針さんはそうしたポーターの音楽を彼の出自や経歴、そして実際の音源で丁寧に辿り、それこそ「ジャズの演奏」でしか知らなかったポーターの全体像を鮮明に提示してくれた。とりわけ、映像で見るアメリカン・ミュージカルの華麗な世界は、それが「ジャズ」という黒々とした世界と結びついていることの不思議さ、面白さを浮かび上がらせる。

打ち上げの席で話題となったのは、ポーターと相性の良い、と言うか、ポーターを取り上げているジャズマンとそうでないジャズマンの違いはどこにあるのか? といった、あまり考えたことのないテーマ。

パッと思いつく限りでも、たとえばパーカーは『プレイズ・コール・ポーター』(Verve)というアルバムがあるが、コルトレーンはポーターやってたっけ? といったお話。まあ、私の見たところ、ポーターの持ち味には間違いなく都会的洒脱、あるいはデカダンスの匂いがあり、まさにパーカーとはピッタリ。パーカー好きの私がポーター好きであるのは当然か。

ともあれ、ジャズという非常に奥の深い音楽に対し、私とは異なった方向から光を当ててくれる小針さんのお話は、ほんとうにありがたく貴重なものだ。今後もさまざまなテーマで講演をお願いしたいと思う。