6月18日(土曜日)

前回の瀬川さんと小針さんによる素敵な「ミュージカル特集」のときも書いたが、私も含め、日本の、特にジャズ喫茶周辺にたむろすファンにとって、モダン以前の白人ヴォーカリストは盲点となっているようだ。その代表格がビング・クロスビーで、フランク・シナトラ以前のアメリカを代表する大物白人シンガーであるにもかかわらず、いまひとつジャズファンの関心は低いようだ。

そういう風潮を払拭するため、ジャズだけでなくアメリカン・ポピュラー・ミュージック全般にたいへん詳しい小針さんによる「ビング・クロスビー特集」をお願いしたわけだが、予想通り示唆に富んだたいへん素晴らしい講演だった。以下私が興味・関心を持ったことを中心に、箇条書き的に同日の模様をご報告しよう。


1、元祖「クルーナー」
マイクロフォンが発達したことにより、アル・ジョルスンのような大きな声の持ち主でなくとも実力が発揮できるようになる。いわゆる「クルーナー」の登場だ。ビングはその嚆矢とも言うべき歌手で、それを受け継いだのがフランク・シナトラである。

2、歌手が主役の時代へ
1930年代までは、歌手、コーラスはビッグ・バンドの添え物だったが、ビングは次第に歌手として主役の座を獲得して行き、「シナトラの時代」を準備した。

3、ビングの魅力
その第一はまずもって「美声」、よって女性ファンがたいへん多い。しかし、時代の要請もあったのか、いわゆる「セックス・アピール」は希薄。シナトラはその部分を巧く補って人気を得た。

4、ジャズ開眼
デューク・エリントンと共演することによってジャズに開眼する。スキャットも見事にこなし「セントルイス・ブルース」など、堂に入ったもの。黒っぽいエリントン・サウンドとも巧くマッチ。

5、ビングの時代
1930年代に入り、ビング・クロスビーはバンドの雇われることはなくなり、ソロ・シンガーとして活躍する。また、自分から作曲に参画したりもする。彼はたいへん口笛も巧い。
ちなみに40年代はシナトラの時代、50年代はエルヴィスの時代、そして60年代はビートルズの時代。

6、ビングの特徴
1、マイクの使用。 2、レコードの利用 3、ラジオの活用 4、映画に出演

7、映画出演
最初は「大根」と言われたが84本もの映画に出演し、アカデミー賞を取るまでになる。また、彼の歌った楽曲がアカデミー主題歌賞に14回もノミネートされ、そのうち4回受賞。


こうしたビング・クロスビーの足跡を概観すれば、まさにフランク・シナトラ以前にシナトラがやったことをすべて極めて高いレベルでこなしていることが一目瞭然だ。ある意味で、ビングがいたからこそシナトラの活躍の場が開けたとも言えるだろう。また、ビングの経歴を概観すると、思いのほかジャズマンとの接点が多いことがわかる。

つまり、アメリカのミュージック・シーンは、日本のファンが考えるほどジャズとポピュラーの境界が歴然としているわけではないことが、今回の小針さんの講演で具体的に実感することが出来た。

ちなみに後半上映された映画はどれもたいへん面白い。大昔の記憶なのではっきりとはしないが、確か幼稚園児ぐらいのころボブ・ホープとの「珍道中シリーズ」を見ているようだ。ただ、子供心にはボブ・ホープのおどけぶりの方が印象的で、ましてやビング・クロスビーが有名な魔手だということなど、知る由もなかった。

ともあれ、やはり「知っている人」の講演は面白くかつ実になる。今後も小針さんの得意分野の講演を連続してお願いするつもりだ。乞、ご期待!