6月20日(月曜日)

「いーぐる連続講演」はどちらかというと講演者のやりたいもの、得意なものをお願いすることが多いが、今回の『日本のラテン』は私が岡本郁生さんにお願いしたテーマだ。理由は、ジャズやロックが日本に移入された経緯はだいたい知られていると思うけれど、ラテン・ミュージックがどんな形で日本に根付いてきたのか、あまり知られていないのではないかということがまずある。

次いで、そのこととも関連すると思うのだけど、岡本さんが『モダン・ジャズ革命』(シンコー・ミュージック)で展開されていた「ジャズファンはラテン・ミュージックを見下している」という意見の答えというか、背景を知るためにも「日本のラテン」を今一度検証してみてはどうかと思ったのだ。

この狙いはうまく当たったと同時に、新たな疑問も湧いてきたが、ともあれ、今回の講演は大成功だった。なんと言っても私などにとっては「意外」とも思える事実が次々と明らかになってきたことが大きい。

私も知っているラテンの古典的ヒット曲「南京豆売り」が、なんと本場物の録音から半年を経ずして日本で録音されていること。これは当時船便しかなかったことを思えばその情報伝達の素早さというか日本人の機を見るに敏なこと、驚くべしだ。

加えて、「鉄仮面」という謎の芸名で登場する歌手さんが、それなりに「ラテン気分」を写しとっているのだ。レコードが発売されたのは昭和6年1月、この年の秋には満州事変が始まっているのですねえ。感慨深いものです。

戦後ともなると、かつて李香蘭の名前で大人気だった山口淑子が「夜来香」を歌っているが、これがラテンというのが不思議といえば不思議。だって、一応彼女は中国人としてこの歌を歌い始めたんでしょう? 

それはさておき、この辺りから私は同時代的に知っている歌が続出。淡谷のり子の「ベサメ・ムーチョ」にしろ、高島忠夫と金色仮面(これもキッカイな芸名)の「パパはマンボがお好き」も、江利チエミの「チャチャチャは素晴らしい」も、幼稚園児のころラジオでよく聴きました。

もちろん当時はそれらが「ラテン・ミュージック」であるという認識など無く、ただ子供でも覚えられる軽快な歌という印象しかない。ともあれ、思い切り乱暴に要約してしまえば、ラテンと日本の「歌謡曲」(その定義は難しいのだけど)の相性はかなりよいのではないだろうか。

とりわけ、1960年代以降の「夜の銀狐」など、まったく「ラテン歌謡」の名に恥じないほど「そのころの夜の世界」を活写しており、またその歌詞が秀逸といえば秀逸。しかしこうして時系列に沿って聴いて来るとラテンと言ってもさまざまで、それが時代の変化とも相まって、「これが日本のラテンだ」とひとことでくくるのが難しくなっているのも事実ではなかろうか。とりわけ80年代以降のサルサともなるとその感はいよいよ深くなる。

ともあれ、こうして日本における「ラテン受容史」を通して聴いてみた意義はたいへん大きく、岡本さんの名解説もあって講演は大成功。打ち上げも大いに盛り上がり音楽談義に花が咲いた。

ところで、こうしたイヴェントの後、岡本さんとモフォンゴ伊藤さんはいつも「これからちょっと」と言うので、「どこに行くの」と聞けば、なんとサルサを踊りに行くというではありませんか。モフォンゴさんの「サルサは踊る音楽」という教えもあるので、私も混ぜろと強引に合流し青山へ。

酔っていたので店の名前は忘れてしまいましたが、陽気な音楽に合わせみなさん楽しげに踊ってらっしゃる。私も見よう見真似で踊りだすと、素敵なお嬢さん方が親切にステップを教えてくれるではありませんか。まあ、老人介護の一環なのでしょう。ともあれラテン・チームはみなさんフレンドリーな方々ばかりです。

岡本さん、ありがとうございました! 素敵な講演、またお願いします!