8月27日(土曜日)

「全曲聴き」で知られた林建紀さんによる講演「ラウズは晩年を聴け!」、期待以上の内容だった。事前の林さんの告知にもあったように、一般ジャズ・ファンは「ラウズと言えばモンク・カルテットのサイドマン」といった認識以上のものは無いようだ。しかしモンクを離れたラウズには、「一ハードバッパー」としての顔があって、それなりに聴き所があるのに、今まであまり話題にされたことはない。

今回の林さんの講演は、まさにその盲点にスポットを当てたもので、結果としてラウズの思わぬ魅力が再発見された。極論を言えば、仮にラウズがモンクのサイドマンにならないでブルーノート、プレスティッジあたりでふつうに活躍していたとしたら、少なくともハンク・モブレイやブッカー・アーヴィン、クラスの人気は得られたんじゃなかろうか。

加えて彼もまた、いわゆる「ハードバップ・リヴァイバル」の恩恵を受けた組でもあるようだ。70年代以降、エレクトリック・ジャズへの反動から、オーソドックスなスタイルを見直す動きがヨーロッパ・レーベルを中心にして興り、ラウズもその波に乗ってかなり傑作をものしている。

しかし、そればかりではなく、アメリカ発の真っ黒レーベル、ストラタ・イーストに吹き込んだ『Two is One』が凄かった。このアルバムは存在自体知らなかったが、ラウズの知られざる一面が浮き彫りになった、まさしく隠れ名盤だ。聞くところによると、DJさんたちがこのあたりは掘り尽くし、中古盤価格はそうとうに高いそうだ。でも、これはちょっと欲しいなあ。

ともあれ、モンクの影に隠れた地味なテナーマンといった印象でソンをしているラウズに、キチンとした評価を与えることが出来たのは、とりもなおさず林さんならではの「全部聴き」の賜物だろう。世評に流されること無く、公平な耳ですべての演奏を聴けば、自ずと見えてくるものがある。

確かにモンクのサイドマンとしてのラウズは、悪くは無いけれど、だからと言って突出した個性を発揮していたようにも思えない。ところが、そうではないところでは、前述したモブレイ、アーヴィン、あるいはグリフィンといった名ハードバッパーたちに劣らない個性・味が明確にあるのだ。

とりわけ驚いたのは、今回のタイトルどおり、晩年になるほど音色も個性も磨きがかかってくるのだ。この辺り、晩年になって良くなったソニー・クリスと似ているようにも思える。今回の林さんの講演をきっかけとして、ラウズ見直しの気運が高まるのではなかろうか。だとしたら、こうした林さんの講演は、立派な「批評」足り得ているのだと思う。