5月4日(日)

都内某所にて楽しい密議。いずれ中身はお知らせいたします。とりあえず5月17日(土曜日)にいーぐるで行われる「ジャズジャーナリズムの現状を考える〜第3回」にご注目ください。
席上雑談で八田真行さんが、菊地成孔さんの新著『M/D』についてブログ「My Human Gets Me Blues」で触れたら、さっそくホンモノ、ニセモノ入り混じったコメントが寄せられたという可笑しな話が話題になる。
この八田さんのブログには、私が『ジャズ・オブ・パラダイス』で取り上げた、清水靖晃のアルバム『Jazz Live!』(Better Days)についての記述がある。八田さんのこの作品に対する感想は、大昔私が抱いたものと非常に近い。それはそうと、サイドのベーシスト濱瀬元彦さんは、あのラング・メソッドの濱瀬さんだったのだと、改めて思い出す。そこから音楽理論一般の話題に移り、八田さんと益子さんのやり取りを興味深く聞いた。この問題はいずれきちんと議論したいと思う。
そのことと少しばかり関係するのだが、先々週行なわれた三具さんの講演の打ち上げの席で、Kさんが私に言ったことが思い出された。Kさんは店の常連さんであり、連続講演に熱心に通ってくれた後に、私の朝日カルチャーセンターの生徒さんになっていただいた方だ。
Kさんは珍しくも「think」を読んでくれたようで、「ちょっと難しかった、それにジャズは理屈じゃないと思います」と率直な感想を述べてくれた。それに対し私は「そうですよ、まさに私がthinkで言いたかったことはそれに尽きます」と返答したのだが、おそらくKさんは、私がthinkで書いていることは理屈であり、ジャズは理屈ではないということが言いたかったのだと思う。それに対し私は若干レトリカルな(しかし本音の)返答をしたのだけど、何しろ酒の席なので主旨がうまく伝わったかどうか定かではない。
このこともいずれわかりやすく説明しようと思うが、とりあえず言っておけば、非論理的な人間の感情や感覚が大きな要素を占める人文科学、文化現象一般についての理論は、いずれも「あとずけ」あるいは「帰納的手法」を用いるしかなく、そこから導き出された「一般理論」なるものを使って何かを演繹しようとしても、大体においてズレが生じてしまうのは、最新の金融理論を参照したはずのサブプライム問題の結果をみてもはっきりしている。音楽理論ももちろん同様だ。
密議終了後、総勢7名で御徒町アメ横の飲み屋に雪崩れ込み、Y社長と黒ホッピーを飲みつつ格闘技談義。Y社長の、最強の格闘技は何かという、楽しくもありふれた質問に回答する。私の答えは、トップクラスの格闘家同士が戦うならば、格闘技の種類が決定的な要素になるとは言えないのではないか、しかし、同程度の体格、運動能力、精神的資質を備えた人間同士が戦うことを想定した場合、ごく短期間(半年程度)で習得できる、もっとも合理的な格闘技術は、おそらく(私はやったことないけれど、あのマイルスもやっていた)ボクシングではなかろうか、というものだ。
少なくとも自分が選手だった柔道は、半年ぐらいではとうてい満足に人を投げることは出来ない。また、ハンパな格闘技を身に付けた連中より、私に言わせればよっぽど「暴力的」な、ラグビー、アメフトの選手の方が絶対に強いのは十分に想像がつく。
その席上村井さんが、今私が愛読している作家、今野敏さんは上智の先輩であると言うではないか。また、今野さんは上智時代、空手部と茶道部というユニークな組み合わせのクラブ活動をしていたという面白い話を聞いた。加えて、初期はジャズ小説も書いていたというではないか。ますます親しみを抱いてしまった。さて、今から本屋に今野さんの文庫本でも買いに行くとしよう。