11月14日(土)

いーぐる連続講演の目的は、突き詰めて言えば、「私には出来ないこと」を、「出来る人」にお願いして講演していただく、ということに尽きる。「私には出来ないこと」は山のようにあるけれど(だから400回を超えても講演のタネは尽きないのだが)、大きく二つの方向に分けることが出来そうだ。
まず、多様かつ膨大な音楽ジャンルを、一人ですべて網羅することが「物理的」に不可能なことからの分担、という意味で、ニューヨーク・ジャズシーンの現状報告を益子さんにお願いしたり、ケルト音楽についておおしまさんに教えていただくというような講演。
そしてもうひとつ、私の個人的資質として、「研究」ができないズボラな性格から、地道なデータの積み重ねからのみ見えてくるものを、アーリージャズ研究に於いては林さんにお願いしたりする、というケースがある。
今回の古庄さんの「The Other Side Of Riverside」はまさにそのケースで、タイトルどおり、一般に知られていない草創期のリヴァーサイドの足跡を、貴重な音源を参照しつつ丹念に辿るというもの。そして、期待たがわず「地道な研究からのみ見えてくるもの」がいくつも積み上げられたのである。
要約すれば、リヴァーサイドが自前のレコーディングを開始する以前の、どちらかというと「オールドタイプのジャズに偏ったリイシュー作業」から見えてくる、オリン・キープニュースのジャズの好みが、「モンクの採用」に結びついたという「発見」。
まあ、それには当時モンクが「冷や飯」を食わされていた、という状況もあるのだけど、モンクのピアノの「バップ以前のスタイルとの連続性」が、キープニュースの嗜好と合致したという、私が知らない知識を、古庄さんの講演は教えてくれたのである。これは大きい。
また、それにも関わらず、エヴァンスのレコーディングという事実に端的に現れているように、リヴァーサイドのカタログが「モダンの重要作品」をキチンとフォローしていることから、キープニュースのジャズ観が「ミュージシャンによって」変容させられていったという、これまた私の知らない状況が浮かび上がってきたのである。
こうしたことごとは、一般に知られているリヴァーサイド作品群を眺めていても、なかなか見えてくるものではない。それが古庄さんの長年にわたる地道な研究によって、具体的、かつ実証的に納得の行く形で示された。ジャズ研究はこうした方々の努力によってひとつづつ積み上げられていくのである。私などはそうした見えない努力の貴重な成果を、講演の場を通して、短期間に「吸い上げ」させていただいているわけで、まことにありがたいというか、少々申し訳ないような気分にもさせられる。古庄さん、ほんとうにありがとうございました。
また、今回の講演は高音質衛星ラジオ「ミュージックバード」によって収録され、いずれオンエアーされる。