11月21日(土)
事前にある程度予想したとおり、お客様の入りはあまり多くはなかったが、非常に良い講演であった。まあ、いまどきリッチー・カミューカの名前を知っているジャズファンは、相当のマニア、ジャズ通に限られているだろう。加えて、そうしたコアなファンにとってのカミューカ像も、決して「もろ手を挙げて素晴らしい」と絶賛できる「知られざる名手」というものではなく、あくまで、「相対的に過小評価された、それなりに好ましいマイナー・ミュージシャン」といったところではないだろうか。
林さんの講演は、こうした「年季の入ったマニア」によるカミューカのイメージをも修正し、部分的には覆す、ある意味では画期的な研究であった。
まず従来のカミューカ評価をおさらいしておくと、「ウエストコースト・ジャズの中堅テナーサックス奏者で、57年録音のモード盤が代表作」といったところだろう。
それに対し林さんは、カミューカの本質は決してウエストコースト・ジャズの枠に収まりきらず、むしろ「イーストコーストの白人ジャズ」の系譜に連なり、また、代表作も晩年76年録音JAZZZ盤、77年録音のConcord盤である、と通説に異を唱えた。そしてそれを実証すべく、音源を年代順に辿り、カミューカが「(ゲッツを経由した)大きな意味でのレスター派」から、彼だけの(モブレイにも通じる控えめで)オリジナルな表現を獲得するまでを、奏法、音色の変化をていねいに解説しながら辿ってくれた。
その結果、彼を単に明るいだけがとりえのウエストコースト・ジャズマンでなく、むしろハル・マクシックなどイーストコーストの白人ジャズマン特有の、ちょっとくすんだ様な陰影感をもったミュージシャンとして捉えた方が、彼の本質に近いことを、説得力を持って示してくれたのだ。付け加えれば、こうした翳りのある表現は、現在の「ニューヨーク派ミュージシャン」にも受け継がれているのではないか、という貴重な提言もアフターアワーで示してくれた。
また、世間的に評価されているモード盤は、良い演奏には違いないが、晩年の作品に比べれば表現の底が浅く、癌の宣告をおそらくは受けた後であろう、晩年の枯淡の境地には達していないことを、実際の演奏で証明してくれた。こうした見解には私も賛成で、巧いだけのモード盤の評価が、カミューカの知名度の低さに繋がっているような気がしないでもない。昔からJAZZZ盤を愛聴し、新譜で購入したときから店でよくかけていた私にとって、わが意を得たりといったところだ。聞くところによれば、このアルバムは今ではかなり入手困難なようだが、仮にこれが再発されれば、カミューカに対する評価も間違いなくもっと高いものになるに違いない。
これらの「発見、再評価」は、ていねいにほぼ全音源を辿る、林さんの手堅い手法からしか生まれ得ない。それにしても、林さんの講演の緻密さ、レベルの高さには驚くべきものがある。というのも、数年前に林さんと知り合い、以来数え切れないほど講演をお願いしてきたが、正直、当初の講演はあまり芳しいものではなかった。まあ、熱心なファンの「発表会」の域を出ないものや、「研究発表」には違いないが、単なるデータの羅列で「そうかもしれないけど、それがなにか、、、」といった、失礼ながら「自己満足」的なものだったのが、近年は「実証的データに基づいた新たなジャズ観の提示」という、まさにジャズ研究の王道を行く素晴らしいものへと進歩、発展しているのだ。
こうした言い方は「上から目線のエラそうな物言い」のように受け取られるかもしれないが、そうではなく、前回もブログに書いたとおり、すでに林さんは「私にはとうてい出来ない」高いレベルの緻密なジャズ研究をなさっているということが言いたいのである。長年ジャズに関わってきた身としては、こうしたハイレベルの若手ジャズ研究家があと何人か出てきてくれれば非常に嬉しいことだと、切に願う。
いーぐる連続講演は意欲ある若手ジャズ研究家に対しては、いつでも講演の機会を提供いたします。もちろん最初から高得点を得る必要などありません。お客様方の批判、疑問に答えつつ、より説得力のある講演を目指していただければよいのです。