8月21日(土)

いわゆる「ジャズ史の巨人たち」の中で、知名度は高いが、その割にあまり聴かれていないのがデューク・エリントンではなかろうか。その理由はいくつか考えられる。まず「古い」という先入観、ビッグバンドだからというコンボファンの偏見、そして紹介されるものが相変わらず《A列車で行こう》《サテン・ドール》といった「おなじみ」ばかりという「狭さ」。

こうしたさまざまなエリントンに対する悪しき先入観を払拭すべく、5回にわたって行われた林さんによる連続講演、その成果は十分に上がったと思う。私自身ずいぶんエリントン・ミュージックに対する見方が広がった。とりわけ前回の「組曲特集」と今回の「宗教的音楽」は私の知らない世界で、エリントンの幅広さがよく理解できた。

それにしても最大の成果は、林さんが最後に、『マイ・ピープル』をキーワードとしてジョー・ザヴィヌルをエリントン・ミュージックの後継者に擬した点だろう。一見意外に思えるが、多くの音源を渉猟しジャズの歴史を大局的に眺める視点を持てる人なら、この繋がりが決して思いつきではないことが理解できるはずだ。

私自身、パーカーからマイルスへと連なるジャズのメインストリームの裏というかアンダーカレントとしてのエリントンからマイルスへの線を考えていただけに、この林さんの提言は十分に理解がつくのだ。こうした見方はジャズに対する概念の拡大に繋がると思う。

もっとも林さんは、エリントンから直接ザヴィヌルへとダイレクトなラインを、ウエザーリポートを介して引いている。すなわち「ブラントン・ウエブスター・バンド」の発展エレキ版がウエザーだと言うのである。もちろん論拠はあって、ブラントンがヴィトゥスでベンがショーターという見立てである。また、作曲者としてのショーターはビリー・ストレイホーンに擬していた。

なあるほどと思った。これは十分にありうる。私はエリントン・ミュージックのキモはサウンドだと思っているのだが、ザヴィヌルの音楽もまさにサウンドの音楽だ。また、エリントンが『マイ・ピープル』に関わった時点での「マイ・ピープル」は、アフリカン・アメリカンしか念頭になかったが、その後、宗教的音楽へと進むうちにマイ・ピープルの内容が、それこそ後期ザヴィヌルの“ワールド・ミュージック”的というか汎世界的な広がりを持つに至ったという林さんの解説は説得力がある。

何にしてもジャズ史にはまだまだ未解明な部分があり、それに対する探求は現代ジャズの理解にも光を当てるはずなのだ。私たちは「ジャズ」に対してみなそれぞれのイメージを抱いているが、林さんのように過去の音源を丹念かつ緻密に聴き尽すことによって、ジャズ史の「再解釈」の試みがなされれば、それは当然現代ジャズに対する「視点の変更」の可能性に道を開くことになる。

林さんはジャズ評論家がすべき、最も重要かつ求められている仕事を地道に行っている数少ない研究家であり、エリントンからザヴィヌルへのラインを実証しようという試みは必ずやジャズ史再考のきっかけとなるに違いない。大いに期待すると同時に、興味津々です。楽しみだなあ。