1月22日(土)
「ヴードゥなんかこわくない」というちょっとばかり変わったタイトルだったので、事前に内容がわかりにくかったかもしれないが(まあ、私自身がそうだった)、実際に音を聴いてみれば、実に良く考えられた素晴らしい講演であった。
真保みゆきさんのお名前はもちろん以前から存じ上げていたが、それは活字を通してのこと、実際にお付き合いさせていただいたのは、去年の荻原さんの講演に真保さんがおいでくださるようになってからである。
荻原さんの講演の打ち上げの席で「ヴードゥ教」のことが話題となり、以前私が読んだ小説(ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』文芸春秋社刊)でのさまざまな南米の宗教についての記述を思い出し、(わら人形に針を刺す呪術をイメージして)半ば冗談で「こわいですねえ」と言ったことが今回の講演の発端だった。
今になってみれば、その印象はむしろ60年代ぐらいまでのハリウッド映画の影響で、ヴードゥ教といえばなにやら怪しげな「邪教」といった悪しき偏見に基づいたものだった。それにしても僕ら団塊世代は、西部劇でもっぱら悪役だったインディアン(そもそも彼らはインド人じゃないよ〜)が実は被害者で、英雄役の騎兵隊の方が侵略者だったことを実感として理解したのはずいぶん経ってからのことだった。
しかしそのことはわかっていても、あまり知識のないカリブ、南米の人種問題、宗教事情に対しては、相変わらず「インディアン=悪人」のレベルとさして変わっていないのだ。これは反省。今回の真保さんの講演、私の無知ぶりを優しく音楽で教え諭してくれたのだった。
講演の内容は、ニューヨークにおけるヴードゥ教はじめ、カリブ、南米の混交宗教(おおむねアフリカ起源の宗教がキリスト教の仮面をかぶっている)に起源を持つ音楽(キリスト教で言えば教会音楽にあたるのだろうか)の紹介で、何も知らなければ素敵なラテン・ミュージック紹介特集として聴いてしまうことだろう。
講演は休憩をはさんで前半と後半に分かれ、前半はどちらかというと宗教色の強いもの。そして後半はデヴィッド・バーンやマーク・リボーが登場する、いわば一般向け。どちらもその宗教的意味合いは「初体験」なのでわからないが、音楽として完全に私好み。特に後半のメルヴィン・ギブスにはシビれました。この辺り、次回の中山さんの「ヒップホップ学習会」ではどういう扱いとなるのだろう。
恒例の「質疑応答」は、私自身の疑問を休憩時間中に真保さんに直接伺ってしまったので特にナシ。疑問と言っても私自身の無知に由来するカリブ、南米の人種、宗教問題で、その方面に詳しい方々にとっては常識だろう。むしろ逆に真保さんから「後藤さんは今日の音楽どう思われますか?」と尋ねられ、宗教上の意味合いはさておき、すべて私好みですと申し上げたら、「それは良かった、この講演は後藤さんのために選曲しました」と言われ、嬉しいと同時に、いろいろと思うところがあった。
と言うのも、講演の始まる前荻原さんに、最近思いついた「白耳」「黒耳」といういささか「モンダイ発言」的アイデアを開陳しようとしていたからである。つまり私の耳は当然「ジャズ耳」になっちゃっているのだけど、それと同時にどうやら「黒耳」っぽいのである。アフリカ音楽、ラテン・ミュージック、そしてジャズ、リズム・アンド・ブルースなど、ものすごく大きな意味で「黒人音楽的要素」があるものは比較的スンナリ順応できるようなのだ。
もちろん、「黒人音楽的要素」などとひと言で括るのは危険で、いわゆる「黒っぽさ」と言ってもジャズとアフリカ音楽ではまったく違うし、もちろん「ラテン」というぐらいでラテン・ミュージックにおけるアフリカ起源の要素はその一部分に過ぎない。とは言え、たまたま今年の正月に固め打ちで聴いた中世音楽の「ど白っぽい」感覚と比べると、その違いは歴然としており、「何かあるのでは」と直感したのだ。
まあ、そのナゾを解くために「白音楽」のそのまた起源にイスラムという「茶色い」音楽があるのでは、ということでおおしまさんに「イスラム音楽」の講演をお願いすることになったのだが・・・ところで、当然のことながら、黄色い私が言う白黒茶色などという言い方には何の差別意識もないのだが、不快に思われる方がおいでなら、お詫びいたします。
話を真保さんに戻すと、最初のアフリカから3回に渡るラテン系音楽の講演をお願いした荻原さん、ニューヨーク・サルサの伊藤さんなどの選曲に対する私の好反応から、真保さんは私の「黒耳」を察知し、そこにめがけて珠を投げられたのかなあ、などと一瞬思ったのだ。
しかし、それは思い上がりというもので、長年『ミュージック・マガジン』というコアな音楽雑誌で執筆を続けてこられた真保さんの選曲が良いのはアタリマエで、これは当然の結果が出たに過ぎないのだ。真保さん今後ともよろしく!
付け加えれば、真保さんが講演で言及した、アンジェリック・キジョー(この人も気に入った)の「アフリカからカリブを眺める視線」は凄く刺激的だ。音楽はまずそれ自身を聴いて楽しむものだが、「世界音楽」の歴史的、空間的関係、変遷を考え出すと、実にいろいろな想像が頭を巡り、気分が高揚する。