9月29日(土曜日)

いやー、いい勉強になりました。com-postメンバー柳樂光隆さんの企画、見事ツボにはまりましたね。柳樂さんと同世代の人気女性DJ、大塚広子さんと、ジャズオヤジの私をぶつけることで、世代間のジャズ観の違い、ズレを浮き彫りにするという作戦、「なるほど」と思いました。

以前、同じくcom-postメンバー八田真行さん(柳樂さんと同い年)が日米の「ジャズ」という用語の中身の違いを判りやすく指摘していましたが、似たようなズレが、私たち団塊世代(そしておそらく40歳以上ぐらいまでのジャズファン)と柳樂さん、大塚さん世代(私とは親子以上に歳が離れている)にはあるようです。

それも新造語ではなく、「ジャズ」のように昔から使われていることばなので、実例を出されないと違いのわからない用語「サウンド」の意味するところが、どうやら微妙にズレているようなのです。今までその違いを認識していなかった私は、彼らが「サウンドに注目しているんですよ」と言っても、いまひとつピン来なかったのも当然です。

私たちの世代の音楽ファンが「サウンド」といった場合、単一の楽器、たとえばアルトサックスの音色(トーン)とは別の、複数の楽器の織り成す合成された音色(“バンド・サウンド”とか、“ウエストコースト・サウンド”といった)をイメージしていたのですが、若い世代が言うサウンドとは、どうやらもう少し先の次元というべきか、録音された音色の持つ印象、雰囲気のようなことをも指しているようなのです。

もちろん私たちも「ECMサウンド」とか「ブルーノートサウンド」ということばで録音の音色をサウンドと言いますが、それはあくまで「音楽自体とは分けて」考えていたような気がします。

典型的なのは、私たちはアナログ盤の「針音」を単なるノイズとしてサウンドの概念に含めてはいませんでしたが、確かにあの「ノイズ」が無意識の領域では「ある気分」を喚起していることは認めざるを得ません。情動を喚起するという意味では、あれも音楽の(もたらす効果)一部だという言い方も出来なくはない。

とは言え、針音はやはり音楽とは言えず、もう少し音楽の内容に関わる部分で言うならば、音(あるいは音楽)の持つ質感とか、全体の感触のような言語化しにくい要素に対して、若い世代は「サウンド」という言い方をしているように思えました。ただ、これはこの日のイヴェントで司会の柳樂さんのリクエストに応じて大塚さんがおかけになった音源(後日発表)に対して私が抱いたイメージに過ぎず、あるいは少し違っているのかもしれません。

この傾向は、大塚さんなどDJの方がレコード、CDなど録音物をソースとして仕事をしていることと関係があるようにも思えますが、DJでない柳樂さんも同じ感覚なのは面白いことだと思いました。

ところで、いわゆる「ジャズ耳」的聴き方では、どちらかというとソロ重視と言うか、要するに単一楽器の音色、感触、表情に焦点を絞った聴き方、ある意味では微視的というか局所にピントを当てる聴き方をします。ですから、若い世代の言う「サウンド」のように、傾向としてカメラアングルを引き気味というか、より全体像を感じ取る聴き方とは方向が少し異なっているような気もします。

にもかかわらず、私は当日大塚さんがかけた音源はどれもわりあい好みでした。思い当たる理由として、私の音楽の聴き方はけっこう幅広く、若い世代的「サウンド」の面白さで聴いているアルバムもけっこうあって(後日曲目紹介)、そのカテゴリーの延長線上で楽しめたということなんじゃないかと思います。

また、打ち上げの席でいろいろ大塚さんと話してみると、大塚さんと私は「ブラック・アンド・リズミック路線」というところでかなり好みが似通っているようなのです。まあ、このあたりのことを共通の友人である柳樂さんが事前に見抜いていて、「二人の趣味は似ていると思う」と言っていたのだと合点がいきました。

当日はDJとジャズ喫茶レコード係りの共通点とか、選曲テクニックの秘密の話とか、いろいろ面白い話題が出たのですが、トラック単位とアナログ片面相当という違いはあっても、両者は基本的に同じことをやっているのだと実感いたしました。

と言うわけで、大塚さんとはまたなにかやりましょうということで意見が一致したので、皆さんご期待ください。また、柳樂さん、今回は実に興味深いアイデアを出していただき感謝です。今後もみんなでいろいろ面白いことをやって行きましょう。