9月21日(土)

ある時期まで、『いーぐる連続講演』は当然のごとくジャズ中心のプログラムだった。それがワールド・ミュージックやヒップホップ、果てはJポップにまでテーマの幅を広げたのには理由がある。

ある時期移行、ジャズシーンの全体像が不明確になった結果、いわゆる「ジャズ史」を描くことが難しくなった。ジャズそのものの輪郭をイメージすることが難しくなったと言い換えてもいいだろう。私が参加するジャズサイトcom-postで「ポスト・モダン・ジャズ論議」などというものが話題になったのも、そうしたジャズ状況と関係している。

ジャズの輪郭があいまいになったとは言え、個々の作品に対して何らかの指摘は出来る。大雑把に要約すれば、ジャズ周縁ジャンル、あるいはジャズとまったく関係ないように思える音楽ジャンル由来と思われる要素がそれらの作品には紛れ込んでおり、そうした部分と伝統的ジャズとの係わり合いが良くわからないものが多くなったということだと思う。

こうした状況においてジャズの新しい形を正確に掴もうとするには、前述の「ジャズ周縁ジャンル」あるいは「ジャズとまったく関係ないように思える音楽ジャンル」をも、視野に納めておかなければ現代ジャズが理解できないということなのではなかろうか。

また、当然のようにジャズが生まれ育ったアメリ音楽史の全体像もある程度理解していないと「音楽の文脈」を見誤ることにもなりかねない。付け加えれば、ジャズを含むそれら多様な音楽ジャンル、そしてそれらの音楽史の全体が、私たち日本人にとっては外来文化であるという視点も忘れてはならないだろう。

こうした背景で行われた奥和宏さんによる『Kind of Blue ブルース以前とブルース以後』の講演は、いろいろと示唆にとんだ興味深いものだった。奥さんは『アメリカン・ルーツ・ミュージック 楽器と音楽の旅』を上梓されてから9年目となる今年、そのディスク・ガイド編にあたる『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクで辿るアメリ音楽史』をアルテスパブリッシングから出されたが、その紹介も兼ね、ブルース以前とブルース以後の音源を実際に比較して聴いてみるという試みだ。

確かに時代を追ってアメリカのルーツ・ミュージックを聴き比べてみると、私たちジャズファンにはおなじみの(ジャズっぽい)「感じ」が次第に姿を現してくる。それと同時に、奥さんが「楽器別」(具体的にはバンジョー、ヴァイオリンといった弦楽器系)という括りを採用した意味合いがなんとなくではあるけれどわかってきたように思う。
僕たちジャズファンはホーン、ピアノ、ギター、打楽器すべての楽器によるジャズを聴いているので、「楽器別」という分け方を便宜的なものと思いがちだが、よくよく考えてみると、楽器と音楽との間には本質的な関係性があることに気が付く。

歌を除くすべての音楽は楽器ナシでは演奏できないから、音楽と楽器はセットなのだ。つまりあらゆる音楽は特定の楽器によって演奏されるのだから、楽器の特性が音楽の傾向を規定する。あるいは、人々の感受性の傾向にあった楽器が作り出される。同じ弦楽器でも三味線とヴァイオリンではまったく別物だ。

奥さんによれば「相性が良い」バンジョーとヴァイオリンの組み合わせも、おそらくはバンジョーのリズム感とヴァイオリンの滑らかな旋律が相補的な作用をもたらすからではなかろうか。

ルーツ・ミュージックにはド素人の感想に過ぎないけれど、ヴァイオリンが主役の演奏は相対的に「白っぽく」聴こえ、バンジョーが登場するといわゆるブルージーな感覚が増すように思えた。

一回の講演でルーツ・ミュージックについてわかったようなことを言う気はまったく無いけれど、適切な解説付きで実際の音源を聴く体験はまことに貴重で、出来うれば奥さんにこうした講演をもう少し続けていただき、ジャズを生み出したアメリカのルーツ・ミュージックと言われるものをもう少し掘り下げて聴いてみたいと思う。奥さん、そしてアルテス鈴木さん、よろしく!