think.26
ジャズの解説でときどき「この曲はAABA32小節で云々」というような文章に出会うが、こうした類の説明にさほど意味があるとは思えない。そんなことは聴けばわかるからだ。といっても、平均的音楽ファンがそうした形式を認識できるという意味ではない。そうではなくて、この楽曲形式が狙った“音楽的効果”は、黙っていても認知できるという意味である。
説明すれば、人はあまりに短い旋律は印象に残らず、かといって長すぎれば何がなんだかわからなくなる。そこでちょうど按配のよい長さの旋律が、8小節のA。しかし、たった一度では記憶に残らないので、もう一度繰り返す、これがAA。そして、いつまでも同じメロディの繰り返しでは飽きるので、気分転換にB。4コマ漫画なら起承転結の「転」にあたる、いわば曲の聴かせどころだ。そして最後に同じメロディに戻って終止感を出す。こうしたパターンは(特定の文化圏の)人間の自然な感覚にマッチしたのか、ティン・パン・アレイ系のポピュラー・ソングには比較的多いようだ。
つまりこうした曲を聴いたとき、人は自然とメロディを記憶し、変化を楽しみ、落ち着くところに落ち着いた気分でエンドを迎えることが出来る。すなわちAABA32小節の楽曲形式の“音楽的狙い”を聴き取っていることになる。というか、まさに聴き手にそうした「まとまり感覚」を与えるのがこうした形式の目的なのであり、これが「聴けばわかる」ということの意味だ。
同じように、ある演奏がコード進行に添った即興を行っているということも、その“狙い”“音楽的効果”は聴けばわかる。一般的に説明すれば、「自由な旋律が、違和感なく展開されている」ということだろう。即興演奏の自由な感覚と、コードというあらかじめ出来上がっている感性の秩序との巧い形の融合だ。もちろんこうした楽曲を演奏するには、コードの仕組みに対する深い知識と、そこから音を瞬時に選び取るセンスの良さ、そしてそれを現実の音として出す演奏技術が必要なのはいうまでも無い。
しかし聴き手は複雑なコード理論など知らずとも、その結果として出てきた音を聴くことによって、背後の“ロジックの効果”を感じ取ることが出来るし、それを聴き手に伝えるのが音楽理論の意味、効用でもあるわけだ。
楽曲形式にしろコード理論にしろ、元をただせば歴史的に成立した感性の秩序の体系に過ぎない。だから普遍性も無ければ恒常性もない。もっとも、だからこそチャーリー・パーカーやオーネット・コールマンといったジャズのイノヴェーターたちは、新たな感覚の秩序を、“発見”ではなく、“発明”(すなわち創造である)することが出来たのだが、、、(普遍性は“発明”の産物では有り得ず、また普遍的なものは変化も進歩もしようがない)
強固な音楽の“ピタゴラス主義者たち”は、ピタゴラスが数学的普遍性を持つとされた彼の“定理”を、“発見”したのであって、決して“発明”したりは出来なかったことをこの際思い起こすべきだろう。(think.21参照のこと)
ところで、こうした演奏の説明で「AABA32小節の楽曲を、コード進行に基づいて即興演奏しているから素晴らしいのだ」といわれてもハテナと思うだろう。だって、同じ楽理構造でも、演奏の質によって出てきた音に天と地ほども差がつくのは当たり前だからだ。