think.29-1
人はキカイのようにフラットに世界を見ることは出来ない。think.28で言及したように「類概念」を構築する際には必ず「暗黙の第3項」が作用している。この事実は構造主義言語学に多少とも通じた人間なら直ちに了解するところだろう。人はみな固有の認識のグリッド(格子)を通して世界を把握し、その認識の多様性自体が諸言語の多様性を生み出している。
その事実は、当然のようにして文化的対象に対する認知の構造にも現れる。およそ無数のグリッドのうち、何を選択するかによって文化に対する理解の正確さが問われるのだ。ジャズという優れて文化的な対象を認知する際、有効な認識のグリッドとそうでないものとが存在する。
両者の違いは客観的なものでも合理的なものでもなく、ましてや理念的なものでもありえない。有効なグリッドとは、ジャズという文化装置が作動する「間身体的な共感の場」で「共同主観性」として練り上げられてきた歴史的産物である。正確なグリッドを把握するにはその「場」に参入するしかなく、またその間身体的な共感の場は理念に還元することはできない。間身体的な共感の場を経験したものが語ることばが事後的に理念を形成するのである。
とは言え知覚構造自体が文化によって事前に染め上げられていることを考えれば、理念と体験の関係は微妙なものとなる。(未完)