「オタクの中で萌え派が急速に台頭している。正確にはオタクの株を萌えが奪いつつある。「押井守監督」や「ジオン軍」などを主語に語るのがオタクなら、「××ちゃん萌えー」と語る(叫ぶ?)のが萌え。後者の隠れた主語は「私」「オレ」だ。自分にとっては××ちゃんは魅力的だ。他人が何と言おうと知らないよ・・・・。自分を殺して客観的な知識の量で勝負したオタクの失速と、自分の好みだけを物差しに掲げる萌えの勃興。オタク趣味の主役は客体(モノ)か主体(ワタシ)かの論争には、ほぼ勝負がつきつつある。」そうだ。
以上は「季刊インターコミュニケーション。No.58」掲載、石鍋仁美氏『コミュニケーションの「場」を求める若者たち』P.96からの引用である。ヒジョーに納得のいく話である。
「オタク」にも「萌え」にも関心の無いワタシでも、身の回りで起こりつつある出来事を望見すれば、「事態は同じなのだなあ」とナットクせざるを得ない。
わが論敵(だった)寺島さんが『スイングジャーナル誌』9月号のコラムで面白いことを書いている。「(寺島さんの経営なさる『メグ』は)〜すでにスピーカーから音を聴く通常営業はなりたたなくなっている」ので「特に初心者の方に多く集まっていただいてジャズの聴き方を考える一種のジャズサロンを開設し」その結果「私の考えは間違っていなかった。」とナットクされている。
 モンダイは、その「初心者の皆様方のご意見」によって自信を得た、寺島先生のお考えの中身だ。『メグ』に集う善男善女は、エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』やコルトレーンの『至上の愛』に「明らかな拒否反応」を示すという。そこまでは良くわかる。ワタシもジャズ聴き始めたばかりのころは、「なんかヘンだなあ」と思ったものだった。しかし寺島さんの面白いところは、そうした「初心者」にありがちな拒否反応を理由に、やはり「名盤」はツマラナイものだと断定するのである。
 まあ、いくらなんでもジャズ喫茶歴で私と並ぶ(厳密に言えば、開店は『いーぐる』の方が古いんですが、、、)テラシマさんが、初心者に言われて急にそんなことを思いつくはずも無く、当然以前から氏が内心抱いていた「実感」を、初心者の方々によって裏付けられたと言いたいのだろう。
 ここでは客体(モノ)である「名盤」の中身より、それに拒否反応を示す初心者、及び寺島さんたち、主体(ワタシ)の「実感」が問題とされているのである。